甲立礫層−安芸高田市甲田町−安芸高田市甲田町−
甲立礫層 帝釈峡、三段峡、石ヶ谷峡、神之瀬峡など中国山地には名の知れた峡谷が随分多い。また、神石高原や甲立高原などは準平原をなし、歩くにもよいところ。
 広島は、四季折々の自然に恵まれ、自然歩道などもよく整備されている。ゆっくりゆっくり平原を行き、気に入った点景を発見すると楽しいものだ。
 安芸高田市に甲立高原がある。広島県自然歩道の郡山・甲立ルートが通っていて高原のよい雰囲気がある。甲立高原の歩道脇に「甲立礫層」が展示されている。切り取った土層を屋内展示されたものは随分目にしたが、屋外で自然の状態そのままに展示される例は珍しい。触れると崩れそうな風化した赤や緑の礫がちりばめられた礫層の断面は、本当に美しい。
 甲立礫層は昭和28年、広島大学の今村教授によって世に紹介された。地層の隆起を示すものであるが、化石の発見がなく、地層の年代を確定するまでには至っていないようである。−平成18年5月−
音戸の瀬戸−呉市音戸町−
音戸の瀬戸 阿波の鳴門小鳴門、薩摩の黒の大瀬戸関門海峡周防の大野瀬戸・・・など我が国には早瀬をなす狭隘な海峡が随分多い。音戸の瀬戸(写真)もそのような瀬戸のひとつである。
 音戸の瀬戸は、難波から瀬戸内海を西下して厳島にいたる最短路を熱望した平清盛によって開削、整備されたと伝えられる。対馬の大船越は宗氏によって掘削された海峡であるが、規模において音戸の瀬戸に及ばない。海峡幅は世界最狭の土渕海峡(小豆島)や堀越運河ほど狭くはないが、100メートルに満たない狭い海峡である。
・・・ここは音戸の瀬戸 清盛塚のヨー 岩に渦潮 ドンと ヤーレノ ぶち当たるヨー・・・
 フェリーの船上から瀬戸を眺めると、海峡はいっそう狭く感じられ、海中に立つささやかな灯台(石灯籠)に瀬戸を行くのどかな船旅の気分も嵩じ、音戸の舟唄がきこえてくるような錯覚に陥る。 
 音戸の瀬戸は昭和33(1959)年、千トン級の船舶が通過できるように再整備された。同36(1961)年には、本州側の呉市警固屋〜同倉橋島(音戸町)をつなぐ真紅のラセン型架橋が完成。橋長172メートル、支間116メートル、幅員6メートルの橋は地元企業によって架橋された。地形の制約から狭い空間のなかで編み出されたラセン状の取付道路の構造は清盛の難工事を今に再現させた。春のころバイクでラセン道路の沿道の花壇を行く爽快感は格別だ。橋は世界に誇りうる瀬戸内の宝石であろう。
 しかし、見上げるように高い橋は住人にとってはだいぶ不便な場合もある。歩行者や自転車などに乗る住民が対岸の生活道路に出られるよう「音戸渡船」が早朝から運航している。両岸から手を振るといつでも渡してくれるという稀有かつ国内最短の定期航路は健在である。
 音戸の瀬戸は平清盛によって掘削された運河。白村江の戦で敗退したヤマト王権が造営した大宰府の大野城、江戸時代の荒川の掘削などに並ぶ古今の難事業の一つに違いない。日迎山高烏台に陽をまねき返し難工事を完工したたという平清盛の銅像が立ち、音戸の瀬戸を望む瀬戸公園の一角には吉川英治の文学碑がある。‘今昔之感 如何’と刻まれた英治の石が、傍らの清盛に見立てた石に語りかけている。 −平成18年4月−