鹿児島の島々
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与論島沖永良部島
トカラ列島 中之島(十島村)
 日本列島は、九州を鳥の胴体に仮定すると、左翼は本州、四国、北海道などの島々、右翼は薩南、トカラ、奄美、沖縄などの南方の島々、尾翼は壱岐、対馬の島々にみたてることができる。さらに両翼中、左翼の北海道は千島列島を経てカムチャッツへ、右翼の沖縄は台湾を経て東南アジアへ、尾翼の対馬の先は朝鮮半島へと、三方にアジア大陸への道を開いている。日本への文化の伝播の点からは、左翼の道は寒冷地であり、その影響は大きくはなかったが、右翼(南方)と尾翼(北方)の道は、太い動脈として日本の文化を刺激し続けてきた。九州は南方と北方から流入する文化の交差点だった。文化は、九州から本州へ発信されてきたのである。
 稲作は、インドから華南あたりの稲の原産地から日本へ伝わった。その伝播ルートについて、南方説と華北から朝鮮半島を経て日本に伝わった北方説がある。国内でインディカ種(長粒種)、ジャポニカ種(短
中之島(七ツ山海岸)
粒種)双方の籾が発見されている。縄文時代にまで遡る土器に稲籾の圧痕などが確認されている。日本の稲作文化は、沖縄から九州、壱岐対馬、朝鮮半島に至る一体の文化圏において長い年月をかけて醸成された。
 弥生時代における稲作の急速な普及は、鉄器がもたらされたことによる農具の革命的な進歩によるものであろう。朝鮮半島で鉄の精錬が始まると、倭人がそれを求め渡海したことは魏志倭人伝等の中国史書によっても明らかである。稲作に伴う耕地の深耕は、石器や木器より鉄器により加工された備中鍬、鋤等の農具の使用によって飛躍的に進んだのである。さらに、鍬先に鉄を履かせれば作業効率はいっそう向上する。
 鹿児島から南方の島々に向けて、幾筋もの航路が開かれている。鹿児島から沖縄まで航路を往かれよ。航路上のどこからでも島影が消えることはない。南九州の南端にたたずむと硫黄島など口三島が浮び、硫黄島の高みに立つとトカラ列島の島々が望見でき、奄美大島、与論島、沖永良部島、沖縄まで島影が消えることはない。奄美大島やトカラの中之島の高みに立つと、開聞岳や高隈山の頭が海上にチョコンと突き出ている。九州も島、本州もまた島。古代の人々は国土を秋津島と称した。その所以は大船、小船を大海原にすべらせて、海洋を縦横に往来する海人族が国家の形成に大きな力を発揮したことの証であろう。
 南方或いは九州の人々のなかには、はるか東南アジアにまで足跡を残す者もいた。天文18(1549)年、マラッカで布教活動を行っていたフランシスコ・ザビエルが日本にやってきたのも薩摩の一庶民との出会いからだった。以来90年にわたって西洋の文化が怒涛のように日本にもたらされたのである。
 移動の手段が船に限られた時代には、我々が想像する以上の速度で南方文化を携えた人々が島づいに北上し、今日の日本の文化の原型をつくったに違いない。奄美、トカラ、薩南諸島などを往来するうちにそのような実感が深まるのである。島々には、古い日本語がよく残っている。沖永良部島の高床式倉庫などは吉野ヶ里遺跡などのそれと瓜ふたつである。トカラの中之島の言葉で「あなたは’ナン’」、「私は’ワン’」、「子供は’ワラべェ’」などという。今日の東北地方の方言にも相通ずるものがあるように思う。
 トカラ列島はその玄関口に位置する硫黄島(鬼界ヶ島)をはじめとして諏訪之瀬島、中之島などいまなお噴煙を上げる火山が少なくない。一島一火山である。列島中、一番大きな島が中之島。鹿児島本土から
御岳とトカラ馬
224キロ、周囲32キロの島の北部で御岳(標高979b)が噴煙を上げ、その裾野で牛の放牧やトカラ馬の保存、増殖が行われ、シイタケやトラノオが栽培されている。シイタケのホダ木にはシイが使われ、大変美味。海岸端にはソテツやビロウ、ガジュマロ、バナナの木が繁る。海岸で見かける赤い実はソテツの実、ソラマメほどの青い実はビロウの実。島内に温泉が3箇所あり、登山客や釣り人などに開放されている。島の南方12キロメートルの洋上には、夜空を赤く染める日もあるという諏訪之瀬島の御岳(標高799b)が勢いよく白煙を吐いている。
 地元の人の話によると、島民の宿願は長い間、海上交通の整備であり続けた。今は、十島丸(1380トン。村営の船)が就航し、島の生活も便利になったようである。島の一角に苦難の歴史が石碑に刻まれている。要約すれば、「明治、大正年間には年2回、本土と答島間に帆船の往来があった。大正14年には月1回の汽船航海が命令により約束された。しかし、実行されなかったので、村が船を建造することを決定。しかし、法令に定めがない建造資金の調達は困難を極めた。このとき、大蔵省預金部運用課長の「汽船も亦道路なり」との英断により道路建設資金枠から特別融資を受け十島丸が建造され、昭和8年に就航した」とある。のどかで美しい島にも、歴史の彼方に身を切るような日常との戦いが隠されている。−平成14年−

中ノ島
カワツツジ ビロウ 野生バナナ ソテツの実
カワツツジ ビロウ 野生バナナ ソテツの実
御岳 トカラ馬
御岳 トカラ馬
七ツ山海岸 諏訪之瀬島
御岳 諏訪之瀬島を望む

御岳  七ツ山海岸  ピースのこと