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若狭ノート | |||||||||
若狭の名塔(明通寺三重塔)−福井県小浜市門前 | |||||||||
老杉の繁る参道を往き木立の中を往き、60段ほどの石段を昇ると本堂。さらに本堂の左手の石段を上ると三重塔が立っている。 本堂や三重塔などの堂宇は鎌倉時代に、明通寺中興の頼禅法印によって整備されたもの。本堂は明通寺縁起により正嘉2(1258)年上棟とされ、三重塔は文永7(1270)年の上棟。いずれも鎌倉時代の建築である。5間6間の本堂は和様の入母屋造り、桧皮葺、1間の向拝を設け、5間の蔀戸が礼堂を思わせる。中備に蟇股を用い、軒周りの支輪が大きく深い屋根を支えている。 若狭には明通寺のほか中山寺、羽賀寺によい建物が残り、中山寺と羽賀寺の本堂はいずれも室町時代のもの。軒周りの組物、向拝のあり様など三者三様で皆、よい建物である。明通寺の本堂は同寺の三重塔の土壇あたりから眺めると桧皮屋根の曲線が僅かにうねり実に美しい。 明通寺の三重塔は3間の檜皮葺。法起寺、薬師寺、百済寺などによい塔が残っている。法起寺の三重塔は法隆寺の五重塔とほぼ同時期の建築とみられ、日本最古。持統天皇所縁の薬師寺東塔は三重塔に裳階を設けたもの。姿のよい塔である。百済寺の塔は鎌倉塔であるが赤人の歌などから百済野を想起させる追憶の塔としてよい雰囲気に包まれている。明通寺のそれは特段、日本の歴史にアッピールすることもなかったが、それゆえに若狭の秘宝であり続けている。どきっとする美しさがある。桧皮が醸す緩やかな屋根勾配と屋根の深い出入りが正統の和様を思わせる。名塔である。−平成25年12月−
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