京都
上狛のあたり−木津川市山城町上狛−
泉橋寺門前の山城大仏
木津川(上狛あたり)

 木津川市に上狛というところがある。奈良時代には山城で最も栄えたところ。木津川沿いに高麗寺跡や恭仁京跡などがある。
 上狛は平城の北、数キロのところにある。奈良と京都の往来のみならず、難波津或いは近江に通じる交通の要所にあり、水運で栄えたところ。
 上狛の2キロほど北には33面の三角縁神獣鏡が出土したことで有名な椿井の大塚山古墳がある。水陸の要衝を支配して膨大な冨を蓄えた豪族のモニュメントだ。
 上狛は、泉川と呼ばれた木津川が流路を変え北流する辺りにあり、行基のあしどりをとどめるところだ。上狛の木津川北岸の堤防を下ると新在家集落に泉橋寺がある。旧寺は現在地の少し北にあった。寺は行基が架設した泉大橋を守護、管理する寺院。行基年譜によって行基創建の49処(寺院)の一つと考えられる寺である。治承4(1180)の兵火によって焼かれている。現在の泉橋寺の門前に露座の石造地蔵菩薩坐像(写真上)がある。山城大仏と称される丈六の坐像。鎌倉時代の造像。もともと地蔵堂に奉安されていたが応仁の兵火にかかり露仏となり、頭部と両手が後補され、御身に傷痕が残る。
 上狛の渡し場は、泉橋寺の対岸にあった。木津川が湾曲する要所に当たり、河積がもっとも広がるところである。御霊神社に奉納された藩政期の絵馬に渡し場の実景が描かれている。今日、渡し場は姿をとどめておらず、荒涼とした葦原をみるばかりである。絵馬に描かれた渡し場の常夜燈(住吉神社)が堤防の外側にわずかに残るのみである(写真下)。天明4(1784)年の記銘がある。
 上狛は茶問屋が多いところ。大道に路地にまでほうじ茶のこおばしい香りが漂うところだ。連子にさりげなく「お茶」の張り紙などがある。そんなところにもふるい町の文化が感じられる。町歩きの楽しみであろう。近くに京都府立山城郷土館(木津川市山城町上狛千両岩)がある。山城散策の入口としてよい施設である。−平成20年2月− 


泉橋寺 常夜燈・住吉神社
上狛界隈