京都
高麗寺跡−木津川市山城町上狛−
 木津川の北岸に上狛というところがある。木津川に望む段丘上に開けたところだ。笠置に向かう集落道の左手に高麗寺遺跡の石柱が立っている。いつの時代にか祀られた供養塔婆とまばらな樹木のほかに何もなく、ひび割れた礎石が飛鳥時代の寺跡の残滓を吐き出している。
 高麗寺は木津川に南面する東西約200メートル、南北約190メートルの寺域を有し、西に金堂、東に塔を備え廻廊で囲まれた法起寺式の伽藍配置。精美な瓦積基壇で外装されていたという。瓦積基壇は飛鳥(明日香村)の檜隈寺跡や近江の崇福寺跡、南滋賀廃寺で同種のものが確認されている。朝鮮半島に多く見られる外装である。高麗寺の金堂と塔の位置が反対になると法隆寺式の伽藍配置になる。現存する法隆寺伽藍から壮麗な高麗寺の伽藍がイメージできるだろう。高麗寺の創建は推古17(609年)年といわれ、狛僧恵弁が住んだという。日本霊異記に天平年中に高麗寺の記述があるが、早くに消亡したようである。高麗寺は、飛鳥時代におけるわが国最古の寺院のひとつだ。この地方は早くから高句麗からの渡来人狛氏が住んだところである。狛氏の氏寺として高麗寺がイメージできるかもしれない。遺跡からアーチ型の舎利孔をもつ塔の心礎や白鳳期の瓦、金銅製透彫金具などが出土している。−平成19年11月−