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大宰帥大伴旅人の妻大伴郎女は逝ってしまった。都から筑紫路へと、郎女と家持を伴って都を旅立った旅人であったが、1ヶ月に及ぶ長旅がたたったのか郎女はまもなく筑紫で病没。
君が見た薄紫の楝(おうち、センダン)の花が散ろうとしているのに、私の悲しみの涙は乾くことがない、と旅人の心を慮った憶良。憶良の日本挽歌中の1首である。70才に手が届く憶良。還暦を過ぎ妻の死に直面した旅人の心を代弁するのだった。武門の誇りを影すらも自覚できないほど旅人の心は沈んでゆく。
旅人は、以来一貫して詩歌に消沈の趣を漂わせ、
任あけて帰京した翌年、天平3(731)年7月、佐保で薨去。大宰府から都へ帰る途中、鞆の浦、敏馬崎で亡き郎女を恋う歌を詠い、都でも追慕の歌を詠う旅人だった。妻の死は旅人の生きるともし火さえも奪ってしまった。郎女の亡骸は、旅人邸近くの大野山の裾野に葬られたのであろう。楝の花が降りしきる日に郎女の影を追う旅人がみえるようである。−平成17年5月− |
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楝(センダン)の花は古来、なぜかその花の色のイメージからか、澄んだ清らかさとともに、寂しさのだだよう花のようである。明治の唱歌に、「夏は来ぬ」という歌がある。佐々木信綱の作詞でよく知られた歌であるが、楝が卯の花や橘とともに夏の日本的な情景をイメージする代表的な花として4番に扱われている。近年では、街路樹として用いられることもある。 |
楝散る川辺の宿の門遠く水鶏声して夕月涼しき夏は来ぬ |
参考
憶良の悲しみ
山上憶良の社会認識−消された憶良の詩歌の精神− |