九州絶佳選
佐賀
佐賀城辺りの風景−佐賀市−
 佐賀城は、17世紀初頭に35万7000石の鍋島氏の居城として築城された城。享保11年(1726年)に本丸御殿が焼失。さらに天保6年(1835年)には、藩政の
中核施設になっていた二の丸が焼失し本丸御殿が230年ぶりに再建された。しかし、佐賀の乱(1874年)の兵火によって城は再び消亡し、いまは城門と続櫓、天主台跡の石垣を残すのみである。
 城門は一般に鯱の門といわれ、大棟の両端に鯱と鬼瓦を配し、続櫓の低い棟の西端に鬼瓦が配してある。高さは12メートルもあり雄大、重厚なものである。
 城門北側の道を隔て、明治19年建築の県警察部の庁舎(写真左下)がある。戦後は長く政府機関の庁舎として使用されていたが現在、教職員相談室等として活用されている。当庁舎は昭和11年に他所から現在地(城内2丁目)に移築されている。県下の明治期の洋風建築は、有田異人館(明治9年建築、田代商会)、旧佐賀銀行唐津支店舎屋旧三菱合資会社唐津支店本館広滝第一水力発電所など数えるくらいしか残っておらず大変貴重な建物である。
 全国の要所に建築された明治期の警察庁舎や郵便局舎は、当時の建築物の洋風化に一定の役割を果たしていたものとみられる。佐賀県警察部庁舎が建つ2年前の明治17年には、愛媛県で旧宇和島警察署が建築されている。西海町役場に転用されるなど建物の用途変更を経て現在、宇和島市内に移築され保存、展示されている。−平成17年8月−

佐賀城城門

旧県警察部庁舎