富山ノートNO3
水橋神社
水橋海岸
画像−水橋神社
水橋神社
 水橋は、富山市の東の端、常願寺川と白岩川が寄り添うように流れる河口に開けた街である。煩瑣な息苦しさがない街である。
 街を歩くと水橋神社(みずはしじんじゃ)、金毘羅神社、天満宮、水神社などひしめくように社が鎮座し、街の辻つじには小さな坊に仏や神が祭られてある。老婆の声が古い家並みに響いて聞こえる。どこか岩瀬の街に似た雰囲気がある。
 水橋は古くは宿駅が置かれ、神通川河口に開けた岩瀬とともに北前船で栄えた港町。艀場や神社の多さ加減や重厚に造られた独特の商家などにそのよすがを残す。街の歴史が日常生活に溶け込んでいる。四国の金刀毘羅宮の玉垣に水橋の名が見えるのも、街の伝統を物語るものであろう。
 白岩川の東西橋に立ち河口の方をみると、中年の夫婦連れであろうかのんびりとハゼ釣りに興じている。その傍らでカモメが羽根を休めている。振り向くと立山連邦が裾野に雲を抱き浮かんでいる。
 帰り際、スーパーで買ったカサゴとニシンは隣町の滑川産。−平成13年9月−
手取峡谷(石川県鳥越村)
画像−手取峡谷1
 富山市内から石川県鳥越村まで約100キロ。「手取峡谷(てどりきょうこく)」はカヌーやボートの川くだりが楽しめる峡谷である。
鳥越村下吉谷の錦ヶ滝付近から同村上野のバードハミングまでボートで下る。距離にして約8キロ。峡谷は適度の瀬やトロ場もあるものの概して荒々しい瀬が続く。ボートを川原に揚げ、引っ張り歩く場所もあって、この渓谷の川くだりには相当の体力と技量が要求されるというものである。最大の難所は、高さ15メートルほどの堰堤からボートを降ろす作業であろう。
 この峡谷の美しさは、渓谷の川面から見上げないと実感できない断崖美であろう。断崖のそこかしこから水が噴出し滝を成す個所もある。滝の飛沫で峡谷は煙り、そのなかをゆらりゆらりと下ってゆく。比類なき渓谷である。
 地元の人は、手取峡谷は平野の一部が陥没して峡谷が形成されたと言っている。山向こうの大日川は渓谷を成しておらず、そのような所説にもうなずける。
手取峡谷の川原で、花崗岩に混じり泥岩が散見される場所がある。その中に貝の化石が含まれていたとしたらどうであろうか。多くを語るまい。この峡谷は、白山の山麓を飾る真珠のネックレスのようにいつまでも美しく光り輝いているべきである。− 平成13年10月−
岩瀬・森家
森家住宅
画像−森家1
 JR富山港線の終着駅、浜岩瀬で下車し浜に向かうと神通川右岸の白灯に至る。
 港の堤防は、大きな玉浮きにカゴをつけメジナを釣る人、棒浮きを用い黒鯛を釣る人などで賑わっている。沖には赤さびた船舶が錨を下ろし、かなたに水平線に沿うように能登半島がうっすらと伸びる。
 「岩瀬(いわせ)」の街は、富山市の中心部から10キロほど北の神通川河口に開けた街。北前船で栄えた街。大町通りには「北前船回船問屋」の商家が軒を連ね、往時の繁栄を秋の陽に偲ばせている。
 通りに面した森家は、むくりのついたコケラ葺きの庇にスシムコの重厚な表構えと、吹抜け梁や帯戸など豪壮な内部の構成が対になり豪商の往時を偲ばせる。路地に突き出た深い屋根は、豪雪地帯における生活の知恵であろう。阿波藍で栄えた吉野川中流域の町、脇町の商家と比べると、対照的な造りといえる。
 腕のいい千石船の船頭は風を頼りに北海道の松前まで10日で帆走した。利益も倍になったところからバイ船といわれたが、遭難する船もまた多かったようである。水橋とともに海上交通の安全を祈る神社が多いのもうなずける。
 森家で19日から3日間、雅舟社などの主催で水墨画同人展が予定されている。北前船は物資のみならず文化も伝えたのである。岩瀬の街はいま、道路わきのプランターに植えられたベゴニアの花で満ち、静かな時が流れている。 −平成13年10月−

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