金刀毘羅宮−仲多度郡琴平町−
おんひらひら蝶もこんぴら参りかな  <小林一茶>
  こんぴら参りのにぎわいと、うきうきとした道中のうれしさは、昔も今も変わることはない。
  青々と育った麦畑の向こうに、讃岐富士(422メートル)が秀麗な姿して立っている。高松の瓦町駅から琴平電鉄に揺られ、車窓の風景を眺めながら1時間ほど往くと、電鉄の金毘羅大芝居(金丸座)終点、琴平駅に着く。駅そばの金倉川に架かる本宮橋を渡ると金刀毘羅宮の門前町である。
  参道下の通りは、旅館、土産店などが軒を連ね、春のこんぴら旧大芝居(金丸座。写真右)のお練りや秋の金刀毘羅例大祭など季節季節の行事で賑わうところ。
■  通りから長い石段が続く参道に入ると、道の両側に商店が軒を連ね、杖をつき或いは籠に乗り石段を往来する人波がこの狭い空間に絶えることはない。京都・天橋立などではケーブルカーの開設により籠は姿を消したが、ここでは健在である。なんとも風情がある。
■  次郎長に代参を命じられ、森の石松がはるばる遠州から参詣した金毘羅さん。金刀毘羅参宮は特に
青銅大灯篭
狛犬
海事にたずさわる人々の宿願だった。参道の玉垣に或いは街道筋の献燈に銚子、水橋(富山県)、佐世保などの港町の名が刻まれている。一の坂の参道に奉献された青銅の大燈籠(山形県酒田。写真左)は一際大きく絢爛を極め、備前焼の狛犬(写真左)は陶器の限界を極める大物である。  青銅大燈籠は、金華山の黄金山神社などに同形のものがある。
  参宮の願いが叶わない船人は、船から金刀毘羅宮と書いた板や幟をくくりつけ、お金や酒を入れた樽を流し、樽を拾った人に代参を託する。昭和初期、参宮を果たした与謝野晶子は、この流し樽の風に敬意と驚きを込め詠う。
    船人の流し初穂の板を見よ信ずるものの放胆を見よ
                         <与謝野晶子>
■  本殿に参りさらに参道を往くと、
本殿
金毘羅宮展望所
象頭山(521メートル)の山頂近くに奥社がある。クスやアラカシ、カエデの新緑が森を染め、淡いグリーンの光が参道に移ろう。奥社は、象頭山の断崖に組まれた石垣の上に鎮座する。本堂脇の展望所や奥社の玉垣越しに見る讃岐平野の景観は大変美しいものである。
  金刀毘羅宮が鎮座する象頭山は、愛宕山、象頭山、大麻山の三山の中心に聳える山。連なる三山を合わせて象頭山と呼ぶこともある。山塊を瀬戸内側(北側)から眺めると、象頭山を真中にして右手が大麻山(616メートル)、左手が象の鼻をした愛宕山(232メートル)。山塊は、讃岐に多く屋島と同じメ-サの溶岩台地を成す。大変姿のよい山である。
  象頭山は、金刀毘羅宮が鎮座し古来、斧、鎌が入ることはなかった。クスなどの暖帯性植物が鬱蒼と生い茂る。特に、裏参道辺りにみる巨樹老樹の林相は見事である。秋の紅葉も大変美しいものである。季節季節の彩をみせる美しい森である。俳人たちは詠う。
鳥声の紅葉表にまた裏に  <河東碧梧桐>
紅葉して象頭山の日和かな  <村上鬼城>
秋風のこの御社を去り難し <深川正一郎>
  江戸時代にこんぴら船で丸亀港に着いた参詣者は、こんぴら街道を辿り金刀毘羅宮に向かったが、日暮れになり愛宕山辺りにかかる月を見ることもあった。
三日月の牙とぎ出すや象頭山  <与謝蕪村>
  大麻山は、野田院古墳など墳墓のある山。銅鐸の出土した山である。地元の人々は大麻山を”オアサヤマ”と呼ぶ。”オサヤマ(首長の山)”の転化であろうか。野田院古墳は古墳公園になっていて、大変眺望に優れた山である。善通寺五岳などを眺めることができる。−平成15年4月−
湛甫の燈籠と金刀比羅宮  空海の観望