西林寺(四国88所第48番札所)―松山市高井町―
  西林寺は、四国88所第48番札所。本尊は十一面観世音菩薩。西暦741年(天平13年)、行基の開基。寛永年間に火災によって堂宇は消失したが、松山藩主や同寺の覚栄法印(西林寺中興の祖)らによって順次再建されてきた寺歴がある。 仁王門をくぐり石畳を歩むと正面に本堂、その横に大師堂がある。本尊の十一面観世音菩薩は秘仏。
 寺の西方に涌水のある杖ノ淵公園がある。弘法大師が当地へ巡錫のおり、錫杖で探り当てた水脈のひとつと伝えられている。
浄土寺(四国88箇所第49番札所)―松山市鷹子町―

浄土寺は、四国88箇所第49番札所。本尊は釈迦如来。恵明上人が天平勝宝年間に孝謙天皇の勅願により創建した寺。平安期の天徳4(960)年に来訪した空也上人が3年間滞在したところと伝えられる。空也上人は、諸国を遍歴し、井戸を掘り、池を造り、橋を架けた。念仏踊りを始め人心の教化を図り、「市の聖」と呼ばれ尊ばれた僧。今に伝わる伝統芸能の中には、念仏踊りに起源があるものが随分多い(参照:綾南町の滝宮念仏踊り)。供人となって上人とともに諸国を遍歴した人々の中には、寺中町を形成し念仏衆として活躍した人々もいた。

霜月の空也は骨に生きにける  <正岡子規>
 浄土寺に高さ約1.22bの木造空也上人立像(写真右下)がある。立像は、胸前に金鼓をかけ、右手に撞木、左手に鹿杖を握り、弥陀の名号を称える口は大きく開き、目は半眼に開き、とぼとぼと歩む枯痩の姿である。市を行脚する老境の上人を写実的に彫った鎌倉時代の肖像彫刻の傑作である。京都の六波羅蜜寺に同形の像(康勝作)がある。
 九州の直方市及び芦屋町は、念仏衆によって寺中町が形成されたところであるが、それぞれ空也上人像が伝わる寺等がある。直方の空也上人像の像高は48aであるなど、姿はそれぞれ異なる。 浄土寺は、応永23(1416)年に兵火にあい堂宇はことごとく焼失したが、文明14(1482)年に河野通宣によって再建された。本堂は、寄棟本瓦葺の室町時代の代表的な建築物である。美しく堂々とした風格がある。本堂の左右に、太子堂や鐘楼、阿弥陀堂などがある。
繁多寺(四国88箇所第50番札所)―松山市畑寺町―
繁多寺は、四国88箇所第50番札所。本尊は薬師如来。寺は石手寺の南、淡路山の中腹の小高い丘の上にある。晴れた日には瀬戸内海がみえる。
 寺は孝謙天皇の勅願によって、天平勝宝年間に行基が開基。応永年間には元寇退散の祈願寺として再興され、高僧、名僧が住職を務め寺は隆盛を極めたという。繁多寺は時宗の開祖・一遍上人の修行の寺として知られている。寺は樹木に覆われ、しっとりと落ち着いた境内に本堂、大師堂がある。