大津市の西部に逢坂山がある。山裾に近江と山城(京都)に通ずる道が通り、関所が設けられた。逢坂の関である。逢坂の関は、不破の関、鈴鹿の関とともに三大関所のひとつだ。
関所の位置につき、国道1号線の大津市大谷付近とも、その先で1号線と合流する国道161号線の長安寺近くの逢坂付近ともいわれる。そこは、逢坂峠の入口付近に当たるところ。長安寺の別称は「関寺」という。寺名が関所の存在を示しているようにも思われる。
その関寺から徒歩2、3分、国道161号線沿いに蝉丸神社がある。蝉丸は盲目の琵琶法師といわれ、謡曲「蝉丸」や小倉百人一首でその詠歌(標記の下段)が知られた人である。謡曲「蝉丸」は、逢坂山に捨てられた延喜帝(醍醐天皇)の第四皇子と設定し、皇子と狂人となって都の果てまで歩き回り、逢坂山まで来てしまった姉君の第三皇女逆髪の宮との再会に、宿縁の因果を通わせるストリーである。蝉丸の出生や居住跡は知るよしもないが、いつの時代にか蝉丸神社と呼ばれるようになり、冷泉天皇の御世には、勅して音曲諸芸の免許をここで受けることになっていた。琵琶に長けた蝉丸が音曲の神と結びついたのであろう。京阪電車の線路を隔てた歩道沿いに「音曲芸道祖神」の碑が立っている。
線路を越え、境内に入ると、かなり荒廃した拝殿、本殿の左手奥に「時雨燈籠」と呼ばれる石燈が立っている。無銘の石燈である。東大寺法華堂の石燈(建長6(1254)年や栄山寺の石燈(弘安7(1284)年)にみる簡素なイメージが鎌倉燈の伝統をおもわせるがやや重厚さが感じられる。竿の中ほどにバランスよく付された珠紋帯、四角の火口の対面に小さな丸窓が一つ、笠も薄くかつ大きに過ぎることもなく見栄えのする石燈である。この石燈の由来は伝わっていないようであるが、蒙古襲来の時期前後、全国の社寺において退散祈願等が行なわれたところであり、この石燈もひょっとして元寇にまつわる祈念燈であったのかもしれない。−平成21年7月− |