大阪
王仁博士−羽曳野市、枚方市−
 JR片町線の長尾駅の南方300メートルに王仁博士の墓(写真上)と伝えられる塚がある。応神天皇のころ百済から論語10巻と千字文1巻を携え百済から来日した人である。王仁はその功によって長尾に住地を与えられ、その子孫である西文氏(かわちのふみうじ)は古市に本拠を構え、史(ふひと。文につくる。)として長く朝廷の記録を司ったと伝えられる。西文氏は渡来人のなかでも最も早くから朝廷内で一定の地位を得た氏族であり、東漢氏(やまとのあやうじ)の一族で大和に住まいした東文氏(やまとのふみうじ)と対峙する組織であった。羽曳野市古市に所在する西琳寺(写真左下)は西文氏の氏寺である。天武7(679)年、壬申の乱において大海人皇子(天武天皇)を支持し功をなした文根(称)麻呂らが関与した壮大な寺院で法起寺式の伽藍配置だった。境内に五重塔の心柱孔の周りに支柱孔が四つある特異で巨大な礎石が遺存する。古市近くには田辺の史という同じ百済系の渡来人が住まいした。互いに縁組をするなど親密な関係にあったようである。古市に所在する誉田の陵(応神天皇陵)や大溝(写真右下)などの巨大施設を見るにつけ、渡来人の技術によって支えられた古代社会が髣髴としてうかびあがる。−平成20年4月−
西琳寺 古市大溝