大阪
王墓の風景(仲哀天皇陵)−藤井寺市藤井寺4丁目−
ミサンザイ古墳
蓮の香や水をはなるる茎二寸   <蕪村>
 ミサンザイ古墳の濠に蓮の花が咲いた。細い茎の先で薄いピンクの花が微かに揺れている。
 盾形の濠に囲まれた全長240メートルの古墳は日本書紀にしるされた河内国長野陵(古事記の河内恵賀之長江)にあたり、仲哀天皇陵に比定された古墳。第14代天皇(仲哀天皇)から第19代天皇(允恭天皇)まで、6代の天皇陵や皇后・皇女の陵墓など巨大古墳が河内・和泉の平野部に所在する。
 ミサンザイ古墳は、50余の王墓クラスの古墳からなる古市古墳群のひとつ。大和川の支流、石川の流域に集中する古墳のなかでもその全容が望見できる模式的で精美な古墳である。
 仲哀天皇は、先帝成務に子がなかったため四十路に即位したいわゆる河内王朝のはじめである。日本武尊の第二子。皇后は気長足姫尊(神功皇后)。天皇は筑紫遠征中、香椎宮(古宮)で皇后にかかった宣託によって新羅出兵の命を受けるが、従わず没した記事が日本書紀にみえる。新羅出兵は神功皇后によってなされ、懐妊していた応神天皇を筑紫の宇美で出産した記事もみえる。九州、瀬戸内海沿岸地方には神功皇后や応神天皇にまつわる伝説が数多く残っている。 

ハス
(ミサンザイ古墳)
仲哀天皇陵