福岡
香椎宮−福岡市東区−
   いざ子ども香椎の潟の白妙の 袖さへ濡れて朝菜摘みてむ
                           <大伴旅人>
   秋立つや千早ぶる世の杉ありて <夏目漱石>
橿日浦
本殿
楼門
綾杉

 「香椎」は松本清張さんの小説・点と線の舞台となったところ。福岡市の東の外れにあたるが、近年では事務所ビルやマンションが建ち並び副都心の様相を呈する繁華なところになった。
 この香椎の町に香椎宮がある。勅使通りのクスの並木が香椎宮の所在を告げている。香椎宮の大きな楼門をくぐると、神功皇后縁の綾杉が中門の前で神さびて茂っている。
 中門をくぐると回廊がめぐる拝殿、本殿がある。本殿は1801年(享和元年)に再建された香椎造りの社。724年(神亀元年)に完成した香椎廟を伝える神殿だ。鮮やかな朱色が目に染みる。
 本殿の東門から約100メートルほどゆくと古宮がある。仲哀天皇の橿日宮(かしいのみや)である。仲哀天皇が当地で崩御の後、神功皇后が祠を造り天皇を祭ったところだ。神功皇后は仲哀天皇にかわって新羅へ出兵。帰国後、みごもっていた応神天皇を宇美で出産したと記紀は伝えている。後に、古宮の近くに神功皇后を祭る社殿が建てられ、古宮とあわせて香椎廟(宮)と称される。
 香椎宮は古い歴史と格式を備える社。大宰府の官人は、春秋2回、香椎宮に参拝する慣わしがあった。旅人の歌もそうした参詣の道すがら詠まれたものであろう。朝廷、皇室とも関係が深く、対新羅との関係が悪化すると朝廷から奉幣使の派遣が行なわれていた。戦前は官幣大社だった。境内につつじ苑があり季節になると、美しい花が池周りを彩る。香椎宮の西に、神功皇后が髪を洗い戦勝の験によってみずらを結ったと日本書紀がしるす橿日浦(写真上)がある。−平成17年−