四天王寺の伽藍−大阪市− |
四天王寺は古きよき大阪の見えるところである。春秋の彼岸や大師講の縁日などには、骨董店や飲食の出店などがテントを連ね、境内は随分賑やかである。
四天王寺は日本最古の伽藍が残るところ。火災によって創建当初の建造物はすべて失われたが、その都度再建され、斑鳩の若草伽藍(焼失前の法隆寺)とともに我国最古の伽藍配置を伝えるものだ。中門、塔婆(五重塔)、講堂を直線上に配置し、中門と講堂が廻廊によって結ばれている。この伽藍配置は、大陸の様式が百済を経て我国には飛鳥時代に伝来したものだ。その伽藍配置の様式は、百済式とも四天王寺式ともよばれる。
しかし、若草伽藍は天智天皇9年に焼失し地下にその遺構をとどめるのみであり、四天王寺が奈良時代以前の伽藍配置を地上に表出する唯一のものである。伽藍の特徴は仏舎利をおさめる塔婆を中心にした配置である。後に、塔婆の東に金堂を置く法隆寺式の伽藍をうみ、次に金堂の前に東西両塔を配置する薬師寺式の伽藍をうむ。仏舎利を奉安する塔婆はひとつで足りるが、東西両塔を加えることにより寺院の荘厳さをあらわしたものだろう。薬師寺においては礎石を残す西塔に奉安施設が設けられ、近年それが復興し東西両塔が揃った。当麻寺は創建当初の東西両塔が揃った唯一の伽藍である。
京都の平等院、奈良の東大寺や興福寺など寺院を訪れ、大観においてそれぞれまったく異なる雰囲気を感じるのは多分に伽藍配置の異様によるところがあるのだろう。 |
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四天王寺 |
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