奈良
番水の風景−御所市−
三合番水   明六ツ   ・・・
          暮六ツ   南川井郷
番水  金剛葛城山麓の九品寺の近くに三号番水の時計が時を告げている。夜明けの4時30分から夜の6時55分まで、いまもきめ細かな水管理が行われている。番水は詰まるところ、水利を共用する稲作農民の知恵から生じた集落間、農家間の水利調整措置として行われる。稲は大量の水によって養われ、その配分に不公平が生じると、米のでき不出来にかかわる重大事となる。
 大和や讃岐のように水が不足がちの地方では古来、死に変わり、生き代わりして水争いがおきないよう農民は番水という知恵をあみだした。さらに広大な流域への利水配分は、水源において水路別に一定量を配分する大掛かりな施設が設けられることもあった(筑後川の角間天秤の例)。
 村々が百日旱(ひでり)に襲われると農民らは水門に結集し、その配分につき論争(「水論」という)を行った。さらに飢饉が深刻になると竹槍や鍬などを携えて水門に結集し、闘争に至ることもしばしばあった。農業用水の配分は厳格を極め、傷飢饉の常襲地帯では日頃から水番を置き、蚊取り線香などで時間をはかり水利の公平化を図った。
 大和(奈良)もまた近年まで、水飢饉の常襲地帯だった。飢饉が見舞われると一国内の問題では済まされず、他国と水争いとなることがしばしばあった。この葛城地方においても、大阪側農民との間でしばしば大水論が行われた歴史がある。それほどこの地方の水問題は深刻であった。
   水論や堰を隔てゝ大篝(かがり) 〈蝸牛荘〉
   水番のふと仰ぎたる夜空かな  〈孤山〉
 番水は、かつては線香に目盛りを刻み、一定時刻ごとに水流をかえ水使用の公平化を図った。今日では線香に変わり、葛城では番水塔(時計塔)がその役目を果たしている。
岡田鴨神社
(木津川市加茂)
 葛城は弥生の昔から加茂族が住み稲作を広めたところといわれる。山麓に加茂族の祖神を祀る高鴨神社が所在する。山城の加茂町をはじめとして安芸の加茂郡など全国的に鴨、加茂と名のつく加茂族ゆかりの地名が多い。加茂或いは鴨と名のつく神社の元社は葛城山麓の高鴨神社である。氏神とともに葛城山麓から全国に雄飛した加茂族。民族移動ともいうべき加茂族の移動はいったい何を意味したのか、古来、論争が数限りなく行われてきた。
 山背国風土記は加茂族の移動の歴史をつづっている。大和盆地を見下ろす金剛葛城山麓に立つとなかなか感慨深いものがある。加茂族は増え続ける同胞を吸収する生産力がもはやここ葛城になくなると、新たな土地や水利を求め、その一派がまず山城の岡田(岡田鴨神社鎮座)に入り、次に京都の賀茂から全国に転々と開拓移住していったのか、いろいろと考えさせる番水である。−平成19年6月−