九州絶佳選
福岡
朝倉の三連水車
 朝倉町の堀川で水車が回り始めた。菱野、三島、九重の3地区で、3基の水車が昨年同様、6月16日から回りはじめた。稲穂が色づく10月ころまで水車は回り続ける。

朝倉三連水車

三島水車

九重水車
  飛沫をあげ回る水車を不思議そうにみつめる幼児の手を握る老人は感慨深げである。最上流の菱野の水車は三連になっていて、一連ごとに大きさが異なる。三連中、一番大きな上部の水車は直径が4.8bもある。下部の小さなものは4b。取水量の配分が考慮されているのだろう。
 水車は、西暦1789年(寛政元年)に設置され、更新されながら二百数十年にわたり回り続け、35ヘクタールの水田を潤している。取水口は堀川の上流1.6`bのところにあり、筑後川の山田井堰(写真左下)から導水されている。
  導水口の背後の山に、恵蘇八幡宮がある。宮は、西暦661年、百済救援のため西下し、朝倉橘広庭宮で崩御された斉明天皇の遺骸が一時葬られ、中大兄皇子(天智天皇)が木の丸殿で喪に服した故地である。
 筑後川は九州一の大河。流域は古くから開けた水田地帯。水利にまつわる苦労も絶えないところである。朝倉町の対岸、吉井町の水田地帯においても、永い水利の開発と調整の歴史がある。吉井町の角間というところに、筑後川から導水した水の配分施設がある。地元の人は「天秤」と呼んでいる。導水路の水はここで配水量が決められ、数方向に分水され約2000ヘクタールの田を潤す。水はまさに量り売りのように大切にされている。私たちは、郷土史家である今村武志さんの次のような言葉を戒めとし、灌漑の難かしさを理解すべきであろう。
  『 ・・・(角間天秤は)単純な構造、でもこの形にたどりつくためには、三百年余にわたって死に代わり生き代わりして田を打ち続けてきたこの地方の農民たちの抑制の利いた生きるための営みが必要だったのです・・・・』

朝倉の井関(筑後川)

角間天秤(分水施設)