京都
時雨
   初しぐれ猿も小蓑をほしげなり 〈芭蕉〉
   小夜時雨舟へ鼠のわたる音 〈巴人〉
   しぐるるや堅田へおりる雁ひとつ 〈蕪村〉
 立冬のころ、北風が吹きはじめると、冷たい雨が断続的に降りはじめる。時雨と呼ばれる天気である。詩歌の方面では時雨は初冬の季語にもなっている。
 北陸や山陰では、「弁当忘れても傘忘れるな」という格言がある。晴れていたかと思うと急に曇り、雨が降る。日に幾度ともなく曇ったり雨が降ったりと鬱陶しい季節だ。こうした時雨が北風に煽られると雨に濃淡が生じ、山裾は墨絵のように煙って見える。暗く、寒さも募る。特に北陸や山陰の単作地帯では外は人気もなく、収穫の終わった田んぼに降る時雨は寂しさもある。これらの地域では立冬の頃から降りはじめた時雨が小雪にかわる2か月ほどの間、時雨と付き合って本格的な冬を迎える。
綾部市西坂(拡大600px
蕪村と天橋立
 一般的に、初冬の雨を時雨と言う者もいるが、京都市内や洛南では一日中、断続的に雨が降る日が続くことは少なく、丹波の時雨のイメージとは大分異なる。
 古人もまた時雨に無関心ではなかった。時雨の肌寒さ、静けさ、寂しさ、季節の移ろいなどを句に織り込み歌った。万葉集に「春日野に時雨ふる見ゆ明日よりはもみじかざさむ高円の山(藤原八束)」(巻8秋雑歌)とある。平城京の東、高円山山麓広がる春日野辺りの雨脚が白くなると高円山のもみじが始まる。奈良の都人の季秋に寄せる情感がわからないでもない。
 さて、芭蕉の「初しぐれ」の句は時雨の冷たさを猿蓑に転移させ、初時雨を表現している。猿と目があい、初時雨を共感する句の面白さは芭蕉の独壇場であろう。巴人は聞こえるはずもない鼠の足音に時雨を観じ、時雨の静けさを求めた。蕪村はさらに巴人のそれを発展させ、琵琶湖の借景を想わせつつ「雁ひとつ」と結んで時雨の寂しさに己の境涯を滲ませている。時雨は私たちに何とも言えない寂寥感を抱かせるけれども、先人はその解釈に日本らしさを追求し芸術にまで高めてきたのである。−平成23年11月−