生きの松原に「壱岐神社」がある。香川県の津田という町にもやはり松林に社(津田八幡宮)がある。海岸は、人と海とをつなぐところ。人の往来や物資の搬送に欠かせない海岸は、古来神の宿るところとして大事にされてきた。
壱岐神社の参道は松原を突き切って海岸に達し、入口に木の鳥居が立っている。松林を横断する2本の道路の横断口にもそれぞれ石の鳥居が立っている。神社はそれほど大きくは見えないが社名に壱岐の名がつき、祭神は壱岐直真根子である。日本書紀は、竹内宿禰の身代わりとなって宿禰の冤罪を晴らした人物と記す。
生きの松原は、神功皇后が松の枝を逆さにして戦勝を占ったところ。その枝が生きて栄えたところから生きの松原と名づけられたと伝えられている。
九州には、神功皇后や竹内宿禰の伝説を伝える社や故地が随分ある。伝説は朝鮮半島への遠征にまつわるものが多いが、宇美八幡宮では神功皇后が応神天皇を出産したところと伝えている。途方もなく長寿であった記紀上の神功皇后と竹内宿禰は、九州と朝鮮半島との永い係わり合いの歴史を両人に圧縮したものであろうか。
生きの松原は、奴国或いは伊都国から壱岐、対馬を経て朝鮮半島に向かうルート上にあったところ。遠征に向かう者がこの松原で戦勝を占うこともあったかもしれない。占いには壱岐の神官がかかわった。その神事は、鹿など動物の骨を焼いて占う古神道の形式を備えたものではなかったか。志摩の川辺里の戸籍から卜部の存在が立証されており、古くはこの松原の社にも壱岐から渡ってきた神官がいてそうした神事が行われていたのではないだろうか。玄界灘から今津湾に押し寄せる波は、秋の訪れとともにその高鳴りが聞こえる日が多くなった。−平成17年10月− |