中国・宋からわが国に最初に禅宗を伝えた栄西禅師。唐泊の東林寺、博多の聖福寺など福岡には、栄西禅師の縁の寺がいくつかある。博多湾の西岸に所在する今津の誓願寺もそのような寺のひとつである。安元元(1175)年に栄西が落慶供養の導師となり、誓願寺を開山。栄西は、第1回目の渡宋後、再び渡海の機会をうかがっていた時期だった。
今津湾を望む小高い山の山腹に建つ誓願寺で、栄西は、宋版一切経の渡来を待って実に十数年間を過ごし、著作と布教の本拠としたのである。この間、栄西は、「誓願寺盂蘭盆縁起」を著している。この縁起は、栄西自筆の唯一のものである。
呉越国から分与された「銭弘俶八万四千塔」(写真下)や元からもたらされた「孔雀文沈金経箱」が寺に伝わる。
遣唐使廃止後も、中国をめざす渡海の僧や商人は多くいた。今津は渡海の機会をうかがう絶好の浦であったのだろう。東大寺の再建勧進を行った重源もこの寺に滞在し、渡宋したと伝えられている。
柔らかな秋の陽に本堂が覆われ、境内に移ろう光が栄西の偉業を称えているようにみえる。
銭弘俶八万四千塔は、鎌倉時代に固有の進化をみた宝篋印塔の祖型とみられるものである。−平成17年10月− |