庚申塔−庄原市−
 庚申塔は江戸時代に盛んになった庚申信仰の遺物。道教に根源をもつ信仰。人の体内に三尺さんしの虫が宿っていて、庚申の夜に体内から三尺の虫が抜け出て、その人の罪過が天帝に告げられる。すると、天帝によってその人は早死にさせられるという俗信である。
 庚申講が結成される場合が多く、節目、節目に庚申塔を造像し庚申の夜は三尺の虫が体内から抜け出ないよう夜っぴておきているというもの。娯楽の要素もあったろう。
 広島県下で庚申塔を目にすることはあまりない。安芸、備後の山間や平野部の神社、道端などに気をとめているのだが、それらしきものが見当たらない。九州、四国の野辺や神社の境内とは大いに様相を異にする。習俗の違いを思ってみるのだが、それにしても見当たらない。
 板碑も同様であり、広島県下はもとより、岡山、山口においても、それほど多く残っているわけではない。百基ほどであろうか。広島はよく知られた真宗王国。雑行を排する宗教的環境が影響しているのかもしれない。
 庄原から国道432号線沿いを比婆山方面に歩くと、川手付近だったと記憶しているが、自然石に青面金剛を刻んだ庚申塔が西城川べりに立っている。庚申塔の左手に牛供養塔、右手に石灯籠がある。庚申塔の記銘は寛政12年(1800年)。比婆山、出雲方面への幹道上にあることから、道祖神信仰とも重なっているのだろう。数少ない庚申塔の中でも、尾道の岩小島のものは特異である。庚申尊天など文字を刻んだ塔でもなく、青面金剛を彫った像刻塔でもない祠を庚申祠といっている。石造の祠である。大変珍しいものであるが、佐賀県富士町の市川集落を歩いたとき道の辻で祠に入った青面金剛を見たことがある。たぶん、岩子島の庚申祠は、最初、青面金剛が祠に祀られていたが、いつの時代かに廃された経緯のある祠ではないだろうか。大変興味深いものがある。
 広島には、庚申塔に比べて六十六部廻国塔が旧比婆郡内や庄原市、三次市など備後の山間地に随分多い。修験道が盛んであった土地柄に加え、当地は出雲に向かう回国の山伏や僧が往来する街道筋にあたる。比和町の比和山八幡神社や森脇、西城町の旧市街の入口付近などに多くの廻国塔がみられる。−平成18年6月− 

参考 : 九州の庚申塔 明日香の庚申塔 庚申塔(庄原市) 庚申コンニャク(大阪市) 丹波の庚申塔 槇川の庚申さん 出石街道の庚申さん 北近畿の庚申信仰