近畿風雲抄
奈良
明日香の庚申塔−高市郡明日香村−
明日香の庚申塔 奈良県に明日香村がある。約百年間続いた飛鳥時代の故地である。板蓋宮、飛鳥寺、石舞台古墳など宮殿や寺の遺址、古墳などが所在する村。近年、村内の幾つかの地区において国営歴史公園の整備が進展し、訪れる人の多いところである。
 明日香村に川原寺という寺がある。寺の前に大きな礎石が散在し、飛鳥時代の大寺の威容をほうふつとさせるものがある。その川原寺に通ずる細道の右手に庚申塔がある(写真左)。自然石に「庚申」と刻まれた文字塔である。 集落の入口にあり、道祖神として祀られてきたのだろう。
 村の中心部の辻や奥山久米寺址(写真下)、上畑の山道脇など村中の随所に「庚申」の仏式塔が散在する。明日香は県下でも庚申信仰が盛んな地域であったように思われる。庚申信仰は、中国から伝わった道教に遠源がある。庚申信仰には、60日に1度めぐり来る庚申の日に、体内から三尸(さんし)というやっかいな虫が抜け出ないようお堂などで一睡もせずに、いわゆる「庚申待ち」をして、夜明けを待つ行事をともなっている。三尸の虫が体内から抜けでて男女の悪事を天帝に告げられると、その人の寿命が縮むという俗信をともなっていた。庚申待ちには飲食がともなういわば娯楽の要素が認められ、江戸時代に広く行なわれた庶民信仰のひとつである。
 明日香村上畑の道端に塔身の上部に日月を刻んだ日待・月待塔(写真右下)がある。塔身の中ほどに「庚申」の陰刻がある。日待信仰は、十五夜の夜にお籠りをして翌朝の朝日を拝む信仰である。月待信仰は、十九夜或いは二十三夜に講をたて如意輪観音を拝み安産などを祈願する信仰である。上畑の塔は脇の石仏が如意輪観音ではなく地蔵菩薩であり、また庚申の表示があるのでたぶんお籠りをともなう日待講が行なわれていたのであろう。講の趣旨等につき銘文を欠いているのでそれが日待講か月待講のいずれか不明なところがあるが、婦人たちによって双方の講が行なわれていた可能性も否定できない。上畑は明日香の街中から離れ、山岳にひらけたひなびたところ。日も月も澄みきった天空に輝き、冴えていたことであろう。
上畑の日待塔 上畑の日待塔
明日香村上畑の日待塔
 明日香村の南部に於美阿志神社おみあしじんじゃという古社がある。檜隈廃寺の遺址に神社が造営されており、社の境内に庚申社(写真下)がある。ささやかな祠に像刻の青面金剛が安置されている。奈良県庚申塔(明日香村)下では青面金剛の像刻塔は大変少なく、大半は文字塔であり珍しいものである。
 近畿地方はかつて庚申信仰の盛んなところであった。しかし、残存する庚申塔は四国や九州地方と比較してその密度はたいへん低いように思われ、また造塔の様式も「庚申」と刻まれた仏式の文字塔がほとんどであり、猿田彦大神をあらわした神式のそれを見かけることはほとんどない。奈良盆地の東麓、天理市萱生町の「山の辺の道」の辻に猿田彦大神の文字塔をみかけるくらいである。桜井市の海柘榴市つばいち観音堂や天理市柳本の黒塚古墳(前方後円墳)の前方部に庚申塔が祀られているがいずれも「庚申」と刻まれ仏式である。海柘榴市観音堂の仏式塔は「庚申」のほか「青面金剛」と刻まれた2種類の文字塔がセットになっている点で珍しさがある。県下の庚申塔の部材はほとんど自然石が用いられ素朴な味わいがある。これもまた、庚申信仰が庶民の信仰たるゆえんであろう。

於美阿志神社
於美阿志神社
黒塚(天理市) 山の辺の道(天理市)
黒塚(天理市) 山の辺の道
(天理市)
海柘榴市観音堂(桜井市)
海柘榴市観音堂
(桜井市)

参考 : 九州の庚申塔 明日香の庚申塔 庚申塔(庄原市) 庚申コンニャク(大阪市) 丹波の庚申塔  槇川の庚申さん 出石街道の庚申さん 北近畿の庚申信仰
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