|
|||||||||||
富山ノートNO10 | |||||||||||
立山 例年、5月にアルペンルートが開通し、美女平でケーブルカーからバスに乗り換え、切り立った雪壁の狭間を往くと室堂。雄山頂上(標高2992メートル)へは室堂から登山するのが一般的。 盛夏の頃、アルペンルートの周りにはまだ残雪があり、バスの下半分ほどが見え隠れしている。室堂ターミナルの喫茶で小休止し、みどりが池に向かう大回コースを歩く。遊歩道がところどころ崩れ落ちている。沿道にリュウキンカ、シナノオトギリ、オオバスミレなどが小さな花をつけている。剣岳を仰ぎながらしばらく往くと、地獄谷の入り口付近で雛を5、6羽連れた雷鳥に遭遇。人を恐れる気配もなく、20分間ほどビデオに撮ることができた。昨夏もみどりが池付近で雷鳥を見かけたが、これほどまじかでみることはなかった。金塊でも発見したような、天にも上る気分とはこのような気分なのだろう。 −平成13年7月−
|
|||||||||||
環水公園(富山市湊入船町) かつて富岩運河は、富山湾に通ずる舟運の要であった。湾口に至る運河の沿岸は整備が行き届き、折々に草花が咲く市民の憩いの場となっている。 公園の中央に天門橋が架かる。橋の両端にタワーが付き、三階に展望所が設けられている。展望所から眺める立山連邦の山々は、遠く、青く重畳を成している。眼下の運河には、ヒドリガモ、オナガガモ、キンクロハジロなどの冬鳥が群れる。点々と長く或いは丸くなり水面にモザイク画を見るようである。環水公園は町のオアシス。−平成14年2月− |
|||||||||||
八尾(富山県八尾町) 八尾踊りは「おわら風の盆」ですっかり有名なった。胡弓のもの悲しい音色と踊りは特異なものである。深網笠の男女の静かな動きの中に、なぜか祈りに似た情感が漂う。阿波踊りは歓喜、薩摩の上山田太鼓踊りは剛勇、おわら踊りには祈りの風景がある。 祭りの期間中、町の人口は膨れに膨れ、街路は立すいの余地もない。家内安全、無事多幸の願いからか、おわら踊りのいわば出前を頼む家庭もある。玄関先や窓越しに自ずと人垣ができ、「三味線の人、もう少し右によってもらえないか、踊りが見えないよ!」、「もう一度!」などと叫ぶ声をよそに、家人はいたって静かに盆を迎える姿などみていると、何かこの町の伝統の奥行きを感じてしまう。 さておき、春の頃、この町の棚田を背景に山裾からウグイスの声を聞くのもよい。棚田がひろがる峡谷沿いの高台に立つと、ウグイスの連唱を背に棚田では田植えの準備が始まっている。八尾の里には美しい日本の田園風景がしっかりと受け継がれている。 −平成13年5月− |
|||||||||||
富山城址公園(富山市) 秋の頃、夜来の風のせいであろうか、公園の小路に欅の落葉が絨毯のように敷き詰まり、その傍らで野バトが無心に餌をついばみ、ヒヨドリが冬支度を告げている。−平成13年11月− |
|||||||||||
浮田家(富山市太田南町) 「浮田家」は奥山見廻役として加賀藩に仕えた役宅である。越中の豪農民家の様式を残す建築物とされている。市内の豪農の民家である内山邸と見比べると、住宅内部の構造などは随分、質実かつ剛健に造られている。浮田家の職務が黒部・立山方面の国境警備であったらしく、その性格がそのまま住宅構造に反映されたのであろう。雪に覆われた野中の邸宅は、玄関先の黒柿の戸板が放つ深く沈んだ光のなかで静かに陽春を待っているようにみえる。 −平成14年1月− |