南予(南伊予)では鹿踊りがずいぶん盛んである。旧宇和島藩領を中心にして土佐などにまで及び、実施団体(地域、集落)数はゆうに100ヶ所を超えるものと思われる。鹿踊りの構成についても八ツ鹿を上限にして五〜七ツ鹿までそれぞれ分布する。必ず牝鹿一ツが交じり、牝鹿は頭上にススキ、ハギなど季節の草花を戴くのが一般的。しかし、当地のそれは牡鹿がサカキを戴くものの牝鹿は無冠。鹿舞歌に音頭取りはおらず、八ツ鹿それぞれが太鼓をたたきながら唄い、唱和する。少年の高い声が心地よく、リズムもよい。
まわれ水車 遅くまわりて関にとまるな
白鷺があとを思へばたちかねて 水も濁さぬ立てや白鷺 |
宇和島の八ツ鹿は宇和島藩の宗藩である仙台藩から伝わったとする説が有力である。しかし東北に広く分布する鹿踊りの曲数は多いが、南予のそれは地域により節や歌詞が変化するものの1曲のみである。歌いだしの‘まわれ水車 遅くまわりて関にとまるな’の歌詞と、隠された牝鹿を牡鹿が探し求めるストーリーはみな共通する。
鹿踊りは平安時代前後からおこった田楽や念仏踊りと一系のものと思うがどうだろうか。当地の鹿踊りももともと遠い昔から南予に存在し、御霊信仰や亡魂の払い出しの心意とが結びつき田楽や念仏踊りなどの影響をうけながら鹿踊りが発生し、伝承されてきたのではないと思う。長い鹿踊りの歴史が鹿踊りを芸能化し、鹿の姿態や歌詞が磨きあげられた。ゆったりとしたたおやかさがある。鹿踊歌のリズムも申し分がない。南予の生活のリズムともよく合っている。南予の鹿踊りこそ民舞の白眉であろう。
さてサルタヒコの供、巫女の舞もまたウラヤス舞とは全く異なり、南予の青空に映えて可愛らしく躍動的である。少年が奏でる太鼓とすり鉦の音に乗って、サカキを手にして群舞する。少女の清純さが天意のままに爆発して美しい。私はこのような古風にして現代的な巫女の舞に接したjことがない。 |