毛利家屋敷−宇和島市三間町是能−

愛媛県内の茅葺き住宅は消滅しつつある。野村の惣川に少しまとまって残っているが本当に少なくなってしまった。全国的にみて、茅葺住宅等草葺き住宅が数量的に一番濃密に残っているところは佐賀県の鹿島市、白石町等の有明海沿岸の地方ではないかと思う。有明海沿岸は屋根葺きの部材となる葦の調達が比較的容易なことに加え低湿地であり、夏場の蒸し暑い気候を凌ぐための伝来の知恵として葦葺き住宅が受け継がれてきている。しかし、有明海沿岸においてすら、特に多量の葦を要するジョウゴ造りの草葺き住宅はすでに消滅寸前である。ほとんど目にすることができなくなった。数棟しか残っていないだろう。

有明海沿岸を含め佐賀郡、東松浦郡、糸島郡辺りの山間部では、屋根の下層部に藁を併用するなどして茅や葦の節約を図るのが伝統的な屋根葺きの手法。それほど部材の調達は人出を要し、コストも安くはない。藁で10年、茅で30年といわれる耐用年数が近づくと、かつては春の時期に、何年にもわたって茅などを刈りため屋根葺きに備えた。徳島の美馬地方で苦労話を伺ったことがあるが、部材の蓄積に腐心しかつ葺替え職人が近在におらず、大阪から職人を呼び寄せて葺替えを行ったとのことである。
 三間に毛利家屋敷という庄屋住宅がある。南予の米どころ三間平野の谷あいに住宅はある。長屋門を備える築250年の寄棟茅葺住宅である。比較的こじんまりとした庄屋住宅であるが、どこからみてもバランスのよい美しい屋敷構えである。
 実はこの茅葺住宅についても、屋根葺講などの共助組織はなく、その修復、保存について大変な苦労が伴ったようである。ボランティアの人々が1万2000束余の茅束の収集に当たり、ようやく毛利家住宅は修復が成ったのである。(中国地方の屋根葺講
 私たちは日々、明日を生きるための糧を求めさまよっている。人の生活を支えるほどの時間もお金も持ち合わせていない。ましてボランティアに費やするほどの余裕もない。しかし、私は考える。人はみな一人で生きているわけではない。地域の伝統や歴史の塊をかじって親もまたその親も生きてきたではないか、そして一片の時があれば気持ちよく人の頼みを聞き、己が生きる喜びとしてきたではないか。私たちもまた、そうでありたいと願う。