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大三島は、芸予海峡の諸島中、一番面積が大きく伊予水軍が依拠した島である。しまなみ海道が通り、今治や本州側の忠海からフェリーの便があり交通は至便である。
島に鎮座する大山祇神社(写真)は、日本総国鎮守とよばれた古社。日本三蹟の一人藤原佐理筆の「日本総鎮守大山積大明神」の扁額が残る。拝殿、本殿は15世紀の創建と伝えられ、武門の信仰が篤く武具などの奉献は質、量ともに全国一と賞される。日本を代表する武具甲冑の八割は大三島神社に奉納されたものだ。
瀬戸内海は、中央と九州を繋ぐ回廊。瀬戸内海を制した者が日本の覇者となった時代が長く続いた。神武東征などもそうした回廊を制し、大きな政治勢力が東方に向かってゆく経過をしるしたものであろうか。 大三島は、瀬戸内海の喉仏に位置する島。越智氏の後裔河野氏が水軍を率いた島である。源平の時代から近世に至るまで、少なくとも西日本を制しようとする者は河野水軍に協力を乞い、島の大山祇神社に武具甲冑を奉納したのである。義経の赤糸縅胴丸鎧、頼朝の紫綾縅鎧、大森彦七の大太刀などが奉納されている。室町時代以降には河野氏一門の村上水軍が能島、来島、因島をなどを根拠地とするようになる。
社は島の宮浦港から近く、港近くに大鳥居がみえる。参道を10分ほど歩くと拝殿前に着く。社は楠の大木が林立する緑陰に静まっている。楠の大木は神武東征に従った乎千命の御手植えという伝説がある。船の用材信仰とも関係があるのだろうか。
境内の右手に国宝殿、海事博物館等に通じる小道がある。小橋を渡ったところに一遍上人が建立したと伝えられる宝篋印塔が3基並んで建っている。一遍上人絵伝にあらわれる塔である。鎌倉時代の均整のとれた代表的な美しい塔である。―平成18年6月―
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クスノキ |
宝篋印塔 |
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