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福岡 |
筑紫の大神神社−三輪町弥永− |
奈良盆地の三輪山の麓に、三輪山そのものを御神体とする大神神社(おおみわじんじゃ)がある。御神体である三輪山は、いわば森羅万象を司る神として認識され、ヤマトの王権の拡張に伴い各地に大神神社が分祀されている。この三輪山の神は大己貴命(大国主命)の和魂として観念されている。
ところで、福岡県朝倉郡三輪町弥永(写真右)にやはり大神神社(大三輪神社)という社がある。筑後川の支流草場川右岸の山裾に鎮座する。流域の甘木、楢原、菩提寺、馬田など14村の産土神であり、夜須郡の惣社。土地の人々は大神神社をなまって「おんがさま」と呼ぶ。実はこの社は、奈良の大神神社と同じ大己貴命(大国主命)を祭神としている。果たして、奈良の大神神社の分祀(勧請社)と見てよいものだろうか。延喜式の神名帳では、奈良の社は「大神神社」、三輪町弥永の社は「於保奈牟智神社」と表記されている。於保奈牟智神社を奈良から勧請した記録や伝承もなく土地の人々は、奈良の大神神社より古い社ではないかといっている。
奈良の大神神社の神体山三輪山の山中に、三輪山祭祀の最重要部に当たる磐座(いわくら)が三箇所ある。それぞれ奥津磐座、中津磐座、辺津磐座と称えられているが、これらの諸神はすべて宗像三姫神である。日本書紀は三姫神は最初に筑紫の地に降臨したと伝えているのである。
三輪町弥永の於保奈牟智神社の創始を確定することはできないが、神体山三輪山の祭祀遺跡の年代を遡るのではないだろうか。北部九州から東に移動してヤマト王権をたてた人々が、筑紫の神々を合祀したところこそ奈良の大神神社であったのではないだろうか。筑後川流域ののびやかな平野を歩いているとそのような感慨が湧き出すのである−平成17年7月−
大神神社(福岡県朝倉郡三輪町弥永) |
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鳥居(大神神社の石額が
掛かる) |
大神神社の拝殿 |
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