博多の那珂川沿いに住吉神社という古社がある。本殿は、住吉造りといわれる切妻造り妻入りの美しい社である。
当地は土砂の堆積や後年の埋め立てによって海岸線から随分後退し内陸という印象を受ける。しかし、住吉神社の絵馬に描かれた鎌倉時代の博多古図が残っていて、住吉神社は博多湾に注ぐ那珂川の河口部、つまり那の津に所在する社として描かれている。鳥居前の天竜池は那の津のなごりをのこすところである。
魏志倭人伝が伝える奴国は、博多湾を含む那珂川の流域に栄えたクニであった。志賀島の金印や須玖遺跡など弥生時代の豊富な遺物などがその存在を裏付けているように思う。住吉神社は那珂川の河口部にあって、海人族がいつきまつる底筒男命、中筒男命、表筒男命を祭神とする。後年、延喜式内社に評され、筑前一ノ宮に列されるほど古代、中世において朝野の崇敬を得ていたことなどに思いをいたすとき、住吉神社は大陸に雄飛した弥生時代の奴国の海人族の社として崇拝の対象となっていたのではないだろうか。神社に銅戈6口、銅矛5口が伝えられている。祭神の名称中、共通する「ツツ(筒)」は、星を表す言葉として北部九州などで用いられていた言葉のようである。
全国の住吉神社と名のつく社は2000社を越えるが、博多の住吉神社は全国で最も古い住吉神社ではないだろうか。宗像、志賀海、住吉に拠った海人族は、それぞれの三神を奉斎して弥生時代から玄海灘に雄飛した部族であったのであろう。福岡県下には、宗像神社、住吉神社(博多)、水天宮(久留米)、宮地嶽神社(津屋崎)など全国の同名社の元社が随分多い。これもまた古代において、福岡が大陸に近くわが国の重要な地域であり、先進地であった証であろう。 |