滋賀
多羅尾の祇園祭−甲賀市信楽町多羅尾−
 信楽の山間に多羅尾たらおという地区がある。大戸川の流域に開け、
多羅尾の祇園祭
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童仙坊(京都府相楽郡南山城村)に隣接し仙境をなすところ。春のころ、タニウツギやモチツツジが咲き、樹上にモリアオガエルが卵塊をかけ、田で雉がのんびりと餌を食む。梅雨のころ咲くササユリも美しく時の移ろいを感じさせない自然が多羅尾にはある。
 例年、7月中旬(平成22年度は7月18日)、多羅尾の里宮神社で祇園祭が行われる。拝殿前に棹先に御幣を束ねたボンテンを立て、その周りに花飾りが6基並べられる。ボンテン、花飾りは依代(ミテグラ)であろう。
 花飾りは竹ヒゴに赤や黄色の色紙で作ったボタンやサクラの造花を棹先の藁束に差し込み、形を整えたつくりもの。花飾りは地区内6組の氏子が手作りしたもので高さ5メートルほどにもなる。見た目にも美しいものだ。
 拝殿でウラヤス舞や神事の後、一斉に花飾りは押し倒され、造花の奪い合いが始まる。老若男女が入り混じり、或いは棹によじ登り、花の奪い合いが続く。花飾りに熨斗袋を結わえたものもある。なかなかの力闘である。氏子は花を自宅に持ち帰り、玄関先や床の間などに飾り、無病息災を願うという。餅まきで祭は締められた。
 里宮神社の創立は建久年間(鎌倉時代)。社伝は創め那智新宮からスサノウノミコトを勧請し、天正年間に牛頭天王を習合したと伝え、里宮神社小社に津島神社(愛知県)が勧請されている。このことから、祭の形態は天正年間に津島神社の天王祭の影響下で進展したものと思われる。里宮神社のような祇園祭の形態は湖南地域で広く行われている。−平成22年7月− 

多羅尾の祇園祭風景
モリアオガエルの卵塊 雉(雄)

災害と多羅尾村長の愛情
 昭和28年8月15日午前5時、400ミリ/時間を越える大雨によって大音響とともに山津波(土石流)が多羅尾で発生。土石流により堰き止められた大戸川が決壊。洪水が発生し、死者44名、重軽傷者143名、家屋全壊40戸の大惨事となった。翌16日、多羅尾光道村長は村民に対し、次のとおり告示した。
‘ 村民に告ぐ
 ・・・村民の皆様、この際、この時、自ら立ち得る者は他に頼らず自ら立とう。まず家を失い、親や子を失った人に心から手を差し延べよう。そして全村協力一致して我が村の再建に勇住邁進しようではありませんか。’と。 多羅尾村は見事に蘇り、今日、その美しい自然とともにある。悲しみに打ちひしがれた村民への村長の篤い思いは、村民の光明となり復興の足掛かりとなったことであろう。昭和32年8月15日、地区自治会によって水難之碑が里宮神社参道脇に建立されている。 
 総じて、為政者が意思の伝達法ややり方を誤ると過去、領民が一揆にも及ぶことがあったように、人はその良し悪しを判断する能力を失ってはいない。私たち生きとし生きる者がみな多羅尾村長にみる愛情と勇気とを持ち合わせておれば、人は平和で心の通い合った抑制のきいたよい社会を自律的に築き、故郷を捨てることなく、美しい自然を育むことすらできるだろう。−平成22年7月−