昭和28年8月15日午前5時、400ミリ/時間を越える大雨によって大音響とともに山津波(土石流)が多羅尾で発生。土石流により堰き止められた大戸川が決壊。洪水が発生し、死者44名、重軽傷者143名、家屋全壊40戸の大惨事となった。翌16日、多羅尾光道村長は村民に対し、次のとおり告示した。
‘ 村民に告ぐ
・・・村民の皆様、この際、この時、自ら立ち得る者は他に頼らず自ら立とう。まず家を失い、親や子を失った人に心から手を差し延べよう。そして全村協力一致して我が村の再建に勇住邁進しようではありませんか。’と。 多羅尾村は見事に蘇り、今日、その美しい自然とともにある。悲しみに打ちひしがれた村民への村長の篤い思いは、村民の光明となり復興の足掛かりとなったことであろう。昭和32年8月15日、地区自治会によって水難之碑が里宮神社参道脇に建立されている。
総じて、為政者が意思の伝達法ややり方を誤ると過去、領民が一揆にも及ぶことがあったように、人はその良し悪しを判断する能力を失ってはいない。私たち生きとし生きる者がみな多羅尾村長にみる愛情と勇気とを持ち合わせておれば、人は平和で心の通い合った抑制のきいたよい社会を自律的に築き、故郷を捨てることなく、美しい自然を育むことすらできるだろう。−平成22年7月− |