日牟禮八幡宮の左義長−近江八幡市− |
水温むころ、近江八幡の日牟禮八幡宮で左義長祭が盛大に行なわれた。祭は3月中旬の土日(平成21年は3月14、15日)に行なわれ、旧八幡町内から10台余の山車が出て賑わう。祭の山車は、松明に舁(か)き棒を結わえた台の正面に、牛など動物の飾り物ををしつらえ、松明の先端に赤いヒレを靡かせる(写真左下)。宵宮は、チョウヤレ、チョウヤレと囃しながら旧八幡町内を行く山車の巡行があり、二日目の本祭には神社前の辻や境内などで山車の「組み合せ」が行なわれ、祭の呼びものになっている。山車の舁き棒は荒縄で固定され、舁き手は踊り子と呼ばれる30〜40人ほどの若者。顔に化粧を施す風がある。組み合せはいわゆる相撲の「勝負」とおなじである。山車同士が境内で、或いは辻で出会うと、相撲の仕切りよろしく蹲踞の姿勢から一方の山車が相手めがけてはげしくぶつかり、延々と力闘が続く。双方の山車がぶつかりあうとその前部がセリ上がり、舁き棒がきしみ、相手を横倒しに組み伏せ動けなくすると勝負は決まる。繰り返し繰り返し、組み合わせは続く。夕方、山車は八幡宮に再び集結し、左義長に火が放たれる。八幡社の左義長は湖国の春を告げる祭である。
左義長は、小正月に行なわれる古来の行事。とんどなどともいわれるが、関西や西日本では左義長(さぎちょう)ともいうところが多い。松飾や注連縄を焼き、残り火で餅を焼き、1年の無病息災を祈る火祭りである。高知や広島などにはそうした古風を残す祭が連綿と伝えられている。また左義長の「組み合わせ」は、古くは瀬戸内海沿岸地方で広く行なわれていたようであり、今も草津のけんか祭(広島市西区)で神輿の組み合せが伝承されている。
近江八幡の左義長はもともと小正月の行事として伝承されてきたものであるが、明治初期に3月の行事となった。理由はよくわからないが、たぶん山車の製作に時間を要することがその一因となったのだろう。−平成21年3月− |
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