大阪
天王寺まいり(四天王寺)−大阪市天王寺区四天王寺−
 春秋2回、春分の日、秋分の日を中日として前後3日間、都合7日が彼岸である。この期間、仏徒はめいめいで墓参りなど先祖などの供養をし、寺まいりをして法話を聞いたりして過ごすのが彼岸の一般的な過ごし方だった。しかし、世の中がせわしくなって、そんな雑節も省かれがちになりつつあるが、大阪の天王寺界隈では脈々として彼岸の営みが息づいている。
 四天王寺は聖徳太子建立の古刹で昔は八宗兼学、本邦最初の伽藍と伝えている。護国大寺、難波の大寺、堀江の寺などと称せられ、朝廷も諸候も消亡のつど再建をいとわなかったし、なによりも庶民がこの霊刹の荒廃を許さなかったのである。七堂伽藍を供え香煙が絶えることはない。落語の「天王寺詣り」などにそうした寺の賑わいがいきいきと描かれている。
 四天王寺の春秋の彼岸の賑わいは特別のものがある。境内にところ狭しと露店が建ち並び、経木書きのテントが立ち、人々は戒名を書いた経木を亀井の水に浸し亡者の往生浄土を願う。木の香が漂う亀井堂周りは人々で溢れかえる。境内は実に賑やかなもので大阪がよくみえるところである。
 四天王寺は大寺の例に違わず南向きに建てられ、立派な南大門を構えているのであるが、西方が正門になっていて石鳥居が建っている。忍性律師によって永仁年間(13世紀末)に建てられたもので、扁額に「釈迦如来転法輪所 当極楽東門中心」とあり、土地の者は四天王寺の西門が極楽の東門と向かい合っているといっている。西門あたりが浄土教の霊地とされ仏行者が集まったわけだが、今はビル群が建ち並ぶ繁華なところとなった。彼岸の日に極楽門西の鳥居の上から夕陽が沈む(写真上)。赤染衛門が「ここにして光を待たん極楽に向かうと聞きし門に来にけり」(赤染衛門集)と詠じ、栄華物語に上東門院が西の大門に車を止めて西日をおがんだことがしるされており、西門辺りは相当古くから浄土教の霊跡となっていて人々が巡歴、集合するところだったようである。
 寺の西方一帯を夕陽丘と呼ぶ。このあたりは上町台地の南端の高台になっていて、古くは海岸が迫っていた。人々は彼岸の日の大阪湾の真西に沈む夕陽に極楽浄土をみたのである。そうした浄土信仰が彼岸の天王寺まいりの根本になっている。彼岸の中日には極楽門辺りで彼岸の法会が修せられる。春の彼岸の日は午後6時前が落日。極楽門に立ち手を合わせる人々がいる。−平成20年3月−