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京都
寺田の白藤−舞鶴市寺田−
 舞鶴市に「寺田」という戸数40戸ほどのささやかな集落がある。府道27号線(池辺京田線)が通り、伊佐津川の支流・池内川の源流部。カモシカの生息地内にあって川沿いに田畑が拓け大方、兼業農家である。そこから2キロほどのぼると菅坂峠。
 高速・舞鶴道を出て府道をのぼるほどに、寺田集落に至る。右手目前に白い衣をまとったクリスマスツリーを思わせる巨木が目に入る。ゆうに20メートルはあるだろう。これほど巨大な白色のツリーは見たことがない。
 バス停(寺田)近くの空き地に車を止め、ツリーを所有されている篤農家を尋ねる。ツリーの正体は杉の木に白藤が巻きつき、長年月を経てツリーに変身したよし。 「山仕事をしていて白藤を見つけ、裏山に植えたところいつの間にか花をつけるようになり、もう2、30年にもなります。通りすがりの人から『杉の花ですか』と聞かれますが、『白藤』ですと答えるとみな、驚かれます。」とのこと。なんとも美しい。藤の白眉だろう。
 白藤ツリーのある谷近くに、岩上神社という社がある。「祭神不明。乳(母乳)の神様。もともとあった社に付近の祠を寄集めて奉祀している。」と古老。社周りに散在するさざれ石状の石や岩は石灰石。足がすくむようながけ地に鎮座する。巨岩の上に建つ社の石段は40段。「く」の字状に築いてある。石段の中ほどにモミの巨木が突出する。目通し約6メートル、高さ約40メートルほど。白藤にモミ、寺田は森の精が住む美しい集落。寺田から2キロほどのぼると菅坂峠。舞鶴湾が輝いて見える。−令和3年4月-

 恋しけば 形見にせむと 吾がやどに
   植えし藤波 いま咲にけり
         山部宿禰赤人(万葉集)
 万葉集に藤の花をうたった歌が26首もある。そのひとつに、「恋しけば 形見にせむと 吾がやどに植えし藤波 いま咲にけり」という赤人の歌(上記雑歌)がある。藤の花を植えて恋しい女性を偲ぶよすがとしたのだろう。このころ、藤が女性を偲ぶいわば「依代」であったことや藤を移植する風があったことがわかる。また、赤人の姓が宿禰(スクネ)であったように、藤の花が武人の家系によってすら歌われているのだから、おしなべて日本民族のやさしさを誇りとしなければならない。
 万葉集には藤の花房が山の端の雑木に垂れ下がって風に揺れるさまになぞらえ「藤波」と表記する歌が実に多い。愛らしく物憂い春の象徴でもあるだろう。
 丹後の「才ノ藤」は神話時代から、花房が長く垂れ下がった九州・「唐津城の藤」は近代の藤として市民に愛され、ゴールデンウィークのころ藤見の客が途絶えることはない。
 山藤は西日本の一般的な樹木であるが、樹勢がつよく杉や雑木に巻き木を枯らせてしまうやっかいもので林業の大敵というべきであるが、藤布が作業着として重用された時代もあった。花の色も様々。普通、紫であるが極まれに白花が発生する。白い藤花を桐箱に収め、宮中に献上した伝説(綾部市志賀郷)の白藤もある。