伊佐津川の河口部に吉原という地区(東吉原・西吉原)がある。藩政期から続く漁師町。漁業や水産加工に従事する人が多いところだ。街は享保年間に行われた田辺藩の町割りによって誕生。以来280年、大和橋辺りを会場にして「吉原の万燈籠」が伝えられている。
令和元年8月16日、台風10号が通過。午後には祭り会場付近の風波はおさまった。
万燈籠は竹竿に魚形の造り物をこさえ、縦に左右7本の松明を結わえたもの。午後7時半、主催者から祭の開催が告げられた。
円隆寺(愛宕権現を祀る)から授けられた神火が燃える松明を手にした20余名の若者が午後8時ころ会場に到着。
同8時5分ころ、万燈籠は横倒しにされ伊佐津川に入水。万燈籠に上がった音頭とりの合図でいっせいに御神火が「万燈籠」に点火された。しだいに火勢を増す「万燈籠」」は垂直に立ち上がった。高さ13メートル、横幅4.5メートル。一時して「万燈籠」は回転を始め竿の先端で御幣がなびく。火が燃え尽きるまで何度も何度も回る。松明の火の粉が身に降りかかり、水が浴びせられる。回すこと約10分、「万燈籠」は水中に消えた。「万燈籠」は光と水の万華鏡。火祭りの精華だ。「今年の万燈籠はほんまによう回った。根性もんがようけおったんやろ。ええ祭りやった。」と地元の人。
万燈籠の主催者は、「祭は漁業に悪影響を与えたくらげ退散、魚霊供養、海難物故者の慰霊のために吉原に受け継がれてきた伝統行事」と説明。
近畿地方には、盆のころ山に登って火を焚いて迎え火、送り火とする共同行事が多い。「まんどろ」と呼ばれる行事である。「吉原の万燈籠」は送り火に当たる「まんどろ」を発祥とする祭りではないかと思ってもみる。さらに享保の大火後にこの祭は始まったと言い火伏せの愛宕信仰とも重なる。
舞鶴市内の城屋の掲松明も迎え火と送り火をまとめて行う「まんどろ」が淵源であるかもしれない。
いずれにしてもこの国には様々な願いを習合し、特有の祭りを産むよき伝統がある。−令和1年8月16日− |