京都
即成院の二十五菩薩練供養−東山区泉涌寺山内町−
 京阪電車東福寺駅から泉涌寺への緩やかな登り坂を300メートルほど行くと、泉涌寺の総門がある。寺は真言宗泉涌寺派の大本山であって皇室の香華院(菩提所)。御寺(みてら)と称され、謡曲「舎利」の舞台はこの寺。成人の日には山内塔頭寺院に祀られた七福神めぐりなどで賑わう寺である。その総門の左手に即成院がある。藤原頼通の子橘俊綱が伏見にあった恵心僧都縁の光明院をこの地に移設したものと伝えられ、泉涌寺派の寺院。宇治川を挟み、向かいには俊綱の父頼通創建の宇治殿(平等院)がある。
 即成院の本堂に阿弥陀如来(本尊)、二十五菩薩座像が安置され、毎年10月(第3日曜日)に二十五菩薩の練供養が行われる。二十五菩薩の彫刻が全部揃って残る寺院は即成院くらいのものだろう。
 練供養の日、境内に一段と高い桟道(約1.5メートル)がかかり、本堂と地蔵堂をつなぐ。本堂は極楽浄土世界、地蔵堂は現世世界をあらわす。桟道を往く二十五菩薩は、悩める者を極楽浄土に導く弥陀の来迎思想を具現する。その流行を見た藤原時代から続く信仰である。僧侶、山伏、稚児行列の後に、二十五菩薩に扮した少年少女が母親の付き添いを得て、金襴の衣装、金色の面をつけゆるり、ゆるりと桟道を練り歩く。桟道の手すりから垂れ下がる5色のリボンは阿弥陀如来の手に繋がっており、参詣者はこのリボンを握って極楽往生を願う。念仏を唱えて弥陀の来迎を拝む老人など境内にはなんともゆかしい京の風景がある。
 練供養は奈良の古寺の伝統行事のようにも思われがちであるが、京洛の練供養は菩薩出仕の者を募って行われる庶民的で明るい行事だ。遠来の参加者も多いという。−平成22年10月−