小橋の精霊舟−舞鶴市小橋− |
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小橋遠景 |
京都府北部に小橋(おばせ)というところがある。戸数50戸余の半農半漁の集落。そこはJR松尾寺(まつのうてら)駅又は東舞鶴駅から徒歩約3時間、車で約20分。便数は少ないがバスもある。若狭湾に突き出た大浦半島の先端部に所在する集落である。
近年、府道21号線が整備され集落へのアクセスも良くなった。海水浴や釣り、自然探勝などで当地を訪れる人は少なくない。
晴れた日、府道21号線を行き、三浜峠から眺めると遠く冠島その後方に沓島が見え、眼下の小橋、三浜集落が青海と対峙してある。集落の背後は階段状の稲田。もう出穂期にあるらしく遠目にはだいぶ黄ばんで見える。
令4.8.15快晴。午前10時、小橋着。例年、大海に精霊(ショウライ)船が流される日である。
〇 集落に連なる白砂の浜に手作りの船1艘が据えてある。ミヨシからトモにかけ綱を張り
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精霊船 |
盆提灯を三張つるし、船べりはキラキラなどで飾り付けてある。船の骨格は竹。ミヨシ(舳先)に常緑樹を巻き、船べりは藁(わら)束を回し竹筒の線香立てがさしてある。
船の内部を覗くと、両ヘリに漁網を袋状に掛け各戸から集めた団子やソーメン、菓子などの供物が供えてある。棒状あるいはすだれに編んだ大小の笹竹もみえる。船底の発砲スチロールは浮き。これが全長5メートルぼどの精霊(ショウライ)船の大要である。
傍らに少年が数名。子供組の年長に聞くと「精霊船の飾り付けを小4〜中2の者5名でしました。船は大人が造ります。」とのこと。また、もうひとりに笹竹のことを聞くと、「各家庭で笹竹で棚を作って戸外に立て、笹竹の置台に団子やソーメン、野菜などを供えます。棚の高さや大きさは家庭によって大小があります。取り壊した棚やも供え物と一緒に船に供えて流します。」とのこと。棚は精霊棚と通称され戸外に設けるとのことなので多分、施餓鬼棚の言いかえではないだろうか。
さらに小橋川の河口で、船から離れたところに焚火がみえる。少年に聞くと「ごみを焼いています。」とのことである。竹などをくべ火を絶やさぬようにしているので送り火と思われる。
西日本では精霊送りは大体16日に行われる。早いところでは15日の夕方から夜ふけにおこなわれる。小橋のそれは15日の昼間の行事。船に提灯をめぐらせていることなどから推し、もともと15日夕方の行事であったものか。
〇小橋に海橋寺という禅寺がある。浜から50メートル程の山腹にあって、境内は数本のシイの巨木に
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飾り付けられた精霊船 |
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船降ろし |
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精霊船(親船に曳かれて) |
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精霊船(自走) |
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沖ゆく精霊船 |
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沖ゆく精霊船 |
被われた古刹だ。当山で10時から施餓鬼法要が行われている。法要が終わると浜に駆け下り、11時15分頃から精霊船の体裁が整えられていく。バクチクが浜に轟く。
帆柱に帆を張り、葉のついた竹を四角に立て、四天王の名を墨書した短冊がつけられる。出航の準備が整うと親船、小舟2艘の曳船のうち小舟が接岸する。11時25分。
精霊船をコロに載せ、大人10人ほどが船体を持ち上げ着水。精霊船の舵の調整が終わると出航。バクチクがけたたましくとどろく。
はじめ曳船に誘導され、帆に風をはらんだ船は沖に向かってゆるりゆるりと50メートルほど自走する。やがて精霊船は親船に曳かれ沖へ沖へと誘導される。豆粒ほどになった精霊船はやがて見えなくなり日本海に消える。冠島の近くまで航行するのだという。
精霊船を見守る人々には思い思いの記憶が去来するのであろう。最後まで船を見送るのがつらい人もいる。万感の思いを胸に小橋の施餓鬼は終わる。
仄聞するところ、小橋では集落を3地区に分け、回り持ちで精霊船の築造や曳船の出動を分担しているとのことである。−令和4.8.15−
〇 精霊船行事は西日本や四国などで「盆送り」の行事として今も行われている。小橋で戸外に設ける棚は施餓鬼棚、無縁仏や祖霊への供養棚なのだろう。大きな集落では新仏を対象にして精霊船を送るところもある。(愛媛県西宇和郡三瓶町皆江のオショロ船)。皆江集落ではオショロ船(精霊船)が出る日に新仏の遺影を背負って盆踊りが行われた。今は遺影を会場中央に並べ一緒に盆踊りが行われている。
全国には精霊迎えに親や子の名を唱え、背負う身振りをして家に連れかえり、精霊送りの日はまた背負身振りをして送るところもあった。 |
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