民家が当地の産業や開発の余波によって次第にその姿が遷移することは致し方ない。しかし、そこを旅したことのある者にとっては、様変わりした街通りの狭間に昔日の町屋を見るとわけもなく、懐かしさとさみしさが同居するのは加齢のせいだろう。
綾部市は戦前、蚕都として栄え、引揚港・舞鶴の乗換駅或いは宗教都市(大本教)としてきこえた北近畿の雄たる都市であった。しかし累次わたる大本教弾圧事件や戦後、ナイロンの発明等によって糸偏産業に陰りが見えはじめると、次第にその地位を福知山市に譲って現在に至っているようである。
大本通りを歩くと、薬局など柱や壁を漆喰で塗り固め窓などを黒く縁取りをした特有の町屋が少なくなったとはいえなお数軒、昔日の面影を通りに映して美しい。土蔵造りの住宅は各地に残っているが、綾部の町屋はうだつを揚げ、白と黒とのコントラストも美しく特有の光を放っている。府道1号線(上林)や同494号線(向田→七百石)沿線の懸魚の掛った合掌造りの農家住宅のある風景は丹波の田園の絶唱、大本通りの漆喰住宅は丹波の町屋の絶唱であろう。−平成26年2月− |