袋中上人(西方寺)−京田辺市飯岡西原− |
京都府の南部、木津川のほとりに袋中山西方寺という浄土宗の寺がある。そこは小高い丘をなし田園が広がるところ。隣接の草内地区に古刹・法泉寺がある。少し足をのばすと酬恩庵(一休寺)などがありこの町には名刹がずいぶん多い。
西方寺はその山号となっている袋中上人(天文21(1552)年〜 寛永16(1639)年が最晩年を過ごし、88歳で入寂した寺である。上人は浄土宗の学僧として名をなし、50歳を過ぎ明へ渡航。しかし豊臣秀吉の対明政策の煽りから入国を拒否され、慶長8(1603)年に琉球国(沖縄県)に漂着。琉球に3年間滞在した後、帰国している。帰国後は京都、奈良で活動。20余の寺を再興、建築し、著書も数多い。今の福島県いわき市出身。出家は14歳。
袋中上人の業績は布教活動にとどまらず、日本と琉球国との親交や今の沖縄の舞踏・エイサーの成立に大きな影響を与えた念仏踊り(ニンブチマーイ)普及の功績であろう。念仏踊りはもともと仏教の民衆教化の方便として考えられ、盆踊りや浮立、太鼓踊りなどの源流と考えられる。袋中上人は琉球国尚寧王の帰依を得て、浄土念仏にとどまらず教育、産業の振興に大きな足跡を残したのである。
袋中上人に帰依した奥林三郎兵衛が当地・京田辺の飯岡に寺を建て、上人が移り住んだのは寛永14(1637)年だった。寺の三方に石造の薬師如来、釈迦如来、阿弥陀如来を安置して、翌寛永16(1639)年に入寂。上人はこの田園の中で激動の生涯を閉じられた。−平成23年11月− |
|
|