京都
醍醐寺の塔−京都市伏見区醍醐東大路町−
 塔身22メートルの塔が醍醐の空をほしいままにしてすっくと立っている。塔のある下醍醐の伽藍から醍醐山上の上醍醐の伽藍まで約3キロメートル。はじめ、山上に準胝堂と如意輪堂を建て、開山の証としたのは理源大師。醍醐天皇の生母藤原胤子が理源大師に帰依した縁で、延喜4(904)年に帝の臨幸があり、下醍醐に釈迦堂、上醍醐に薬師堂、五大堂が整備された。
 山上、山下の伽藍は徐々に厚みを増し、朱雀天皇が法華三昧堂、村上天皇が五重塔を下醍醐に建立するなど寺は栄え、盛時には山上に27院、山下に65院の僧房が建ち並ぶ偉観を呈したという。永久年間に鳥羽上皇の帰依を得て、勝覚僧正によって三宝院が創建されるなど支院は門跡として栄え、本寺の座主となる慣わしがあった。それにしても、五重塔は瑠璃光寺の五重塔とともに本邦の白眉中の白眉といえるであろう。