京都
宝塔寺の多宝塔−京都市伏見区深草宝塔山町−

  気候が緩み、梅の蕾がわずかにほころびはじめるころ、洛南の山裾の住宅地をゆくほどに宝塔寺という日蓮宗の寺に行き着く。寺は摂政、関白を務めた藤原基経が開基の寺といわれる。壮大な本堂や多宝塔が建ち、もとは極楽寺という真言宗の巨刹だった。鎌倉末期に住職良桂が日像と法論し、日像に感服した良桂は住職を日像に譲り、自分は二世となり寺名を宝塔寺に変え、法華の道場とした経緯がある。 応仁の乱の戦火を逃れ、今も4脚門が寺の在り処を告げ、多宝塔は京都最古である。小さくともメリハリのある厳とした唐様の塔は、石山寺の多宝塔や根来寺のそれとはまた異なる趣がある。3間4面、上下両層とも本瓦葺、相輪を冠し室町初期の様式を備える塔である。屋根瓦は行基葺。特殊な瓦が使用されている。丸瓦が基の方で細くなり、それを重ねて葺くもので遺存例が少なく珍しいものだ。古くは法隆寺の玉虫厨子にみられ、奈良の元興寺と泉州貝塚の木積釘無堂の屋根瓦が行基葺である。桟瓦のような略式の瓦にないよい趣がある。−平成21年2月−


本堂 四脚門(総門)
多宝塔(下層。行基葺)