兵庫
達身寺の諸仏−丹波市氷上町清住−
 加古川の最上流部に一九山達身寺(たっしんじ)という寺がある。正徳2年(1712)開創、曹洞宗。寄棟の本堂が印象的だ。
 近年、この寺がつとに注目されるようになった。寺の収蔵庫、宝物殿、毘沙門堂に実に79体の古仏を所蔵するのである。これら仏像は平安〜鎌倉時代にかけ製作されたという。
 ささやかな寺に不釣り合いな諸像。しかも16体が兜跋毘沙門天像(とばつびしゃもんてんぞう)。一木造りで、ポッコリおなかが出た様式は達身寺様式と呼ばれ、この寺が一時代を築いていたことがわかる。異常な多さの兜跋毘沙門天像の存在が謎を謎をよんでいる。造りかけとみられる仏像も多い。
 今の達身寺の前身は明智光秀の丹波攻めにあい廃寺となった寺院とみられ、諸仏はこの廃寺の仏像が保管されていた達身堂(たるみどう)から引き移したものという。
 先年死去された考古学者・森浩一氏は兜跋毘沙門天像につき、「出雲から霊的なパワーによって帝都を守る」帝都防衛説を唱えられた。出雲に強制移住させられた蝦夷の反乱(弘仁5(814)年)を意識されての説であろう。
 達身寺のある氷上町は古代山陰道の要所。山陰道は京から亀山(亀岡)、篠山を通り、今の国道176号線の道筋をたどり柏原から春日、市島、福知山に入ったものと推される。福知山から先は今の国道9号線をたどると出雲。さらに柏原から加古川に沿い青垣を経由し、今の国道427号線をたどって和田山(山陰道に合流)に入る往還も利用されただろう。
 毘沙門天の別称は多聞天。四天王の一つとして安置される。インドの宇宙論でいう須弥山に在って、釈迦の道場で常に説法を聞いたから多聞の名がある。如来、菩薩より低位にあって仏法を守護する。北方の守護神。聖徳太子は日本最古の伽藍・四天王寺を創建し、四天王を安置した。
 四天王中、多聞天を単独で信仰の対象とするとき毘沙門天と呼ばれ、四天王中、最も人気がある。上杉謙信は毘沙門天を信仰し、「毘」を旗印にして戦勝祈願をしたことが知られている。
 達身寺の毘沙門天はなぜ兜跋毘沙門天なのか。兜跋毘沙門天は、兜跋国(西域のトルファン国?)が侵略を受けたとき兜跋毘沙門天が現れて敵の大軍を蹴散らした救国の勇猛果敢な天王とされる。堅牢地神と藍婆、毘藍婆の三人の眷属を足で踏む。四天王の伝来とセットで兜跋毘沙門天が伝わったものか。その木彫彩色像は平安城の羅城門楼上に安置され、現在東寺が所蔵している。眷属を踏み、甲冑を装い、いかめしい姿。舶来のそれらしく達身寺のものとは大分、イメージが異なる。
 東寺は国家鎮護の寺。達身寺のある氷上町清住は中世の葛野荘(かどのそう)内。葛野牧が拡張され荘園化したものとみられるが、平安末期の領家は皇室で元徳2(1330)年、後醍醐天皇は葛野荘の執務職を東寺に寄進している。このころから葛野荘は東寺のものとなった。しかし寺が所蔵する諸仏は平安前期から鎌倉期に作られたとみられタイムラグがあり、これらの仏像が東寺の差配によって彫られたものかどうか、なはだわかりにくい。
 兜跋毘沙門天をこれほど多く所蔵し、かつ平安前期に遡るとみられる薬師如来坐像の存在などを考えると、やはり東寺が古い時代から当地へ何らかの影響力を持ち、北からの脅威に対処していたのではないだろうか。薬師如来坐像などにみる貞観仏のノミ跡に、放浪する仏師集団の影が見え隠れする。
 官営造仏処が8世紀に閉鎖され、地方に散らばった仏師がいわば氷上・清住の造仏文化の原型をなしたにちがいない。律令時代の大領ほどの豪族が地方に下った仏師を寄せ仏像を彫らせ氏寺に安座させたのではないだろうか。その過程を推すと、律令制度が崩れ領地を獲得した豪族が東寺に領地を寄進することによって、荘官として在地で引き続き勢力を保ち得たのだろう。安芸の福光寺などと同類のケースとも考えられる。
 9世紀初頭、出雲にいた蝦夷が反乱を起こしている。山陰道の要所にいた氷上の豪族は否が応でも北からの脅威に無関心でいられるはずもなかった。東寺に領地を寄進しその安堵と北からの脅威に対処するため、如来や天部の諸像をいわば丹波造仏処で造像し、氏寺に安置しひたすら祈祷にすがったのではないだろうか。領主を東寺とすると造仏処で造られる仏像は東寺縁の天部の兜跋毘沙門天だったと考えられる。氏寺に兜跋毘沙門天を安置した祈祷処と考えれば、森氏が主張される造仏による帝都防衛説がすんなりと受け入れやすい。官の護国寺であった東寺の性格から推しても、森氏の仮説は的を得ているように思う。
 それにしても宝物殿で安置された薬師如来の姿形を見ていると貞観仏を髣髴とさせるものがある。重厚な面相とでっぷりとした体躯は、先年の優美平明な天平仏の概念を打ち破っている。造仏の新時代に花開いた丹波仏師がここに住まいしていたのだ。快慶もきっと当地から旅立った仏師にちがいない。−平成26年4月− 

達身寺の有楽椿
達身寺の有楽椿
カタクリの花
 達身寺境内に有楽椿がある。高さ7メートル、幹回り1.6メートル。満開の花が美しい。
 清住はカタクりの花咲く里。達身寺の境内や寺から4キロメートルほどのところにカタクリの群落がある。山の斜面を埋め尽くすカタクリの花。壮観である。
参考:京の街角(等寺院の有楽椿)−平成26年4月−