久留米市の南部に大善寺という町がある。町を縦貫する国道209号線が周濠を備える御塚、権現塚という2基の古墳をかすめるようにして走っている(写真右。説明版より引用)。南側の古墳が三重の周濠をもつ帆立貝式前方後円墳の御塚(写真左下)、北側の古墳が円墳の権現塚古墳である。円墳部の直径はそれぞれ123bと150bである。両古墳とも古墳の形状をよくとどめている。古墳は田園の真ん中にあり、周堤は市民の散策路になっている。地元の人々は古墳を鬼塚と呼び、禁忌を伴っていたことが奇しくも古墳の保存によい影響を与えたのだろう。
大善寺あたりは古くは水沼と呼ばれたところ。有明海に口を開く筑後川の南岸に当たり、日本書紀は水沼君が威を張っていたことを伝えている。低地で農業水利のよいところである。古墳を営んだ豪族は、稲作によって富を蓄積し、筑後川の水運を得て大陸に雄飛した者もいたことであろう。筑後川流域に点在する装飾古墳は、そのような当時の状況を映したものであろう。
古墳の周辺から古式の須恵器や埴輪が収集されている。両古墳は5〜6世紀の築造と見るのが一般的である。古墳の南東方面には磐井一族の墳墓地帯とみられる八女丘陵があり、丘陵上に石人山古墳、岩戸山古墳などが築造されている。御塚・権現塚の築造年代は古期の須恵器の考証等が進めば、もう少し遡る可能性もあるのではないか。古墳主体部は未調査という。それにしてもこのような筑後川流域の重要部に位置する古墳が未調査というのはいかにも遺跡の多い九州らしい。手がまわらないのだろう。
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