飯塚の市街の東側を遠賀川が流れている。その川近くの繁華街に「嘉穂劇場」がある。見上げるほど大きな劇場は、明治時代の歌舞伎小屋の建築様式を伝える建物。すっきりとした壮麗さがある。木造二階建て、入母屋造りで間口15間(27b)、奥行き23間(42b)、定員1,400人、昭和6年に落成した劇場である。マス席は一箱6人詰めの席が70余、桟敷は一階が三段、二階が二段、向こう桟敷は四段。廻り舞台は直径が約16bもある大きなもの。もちろん奈落もあるが現在は使用されていない。見学できる。
嘉穂劇場の前身は中座(株式会社)。大正11年に開場したが昭和3年に全焼。すぐに再建されたが昭和5年に今度は台風により倒壊。共同経営者が小屋経営から手を引き中座は解散したが、伊藤隆氏の個人資金によって再建された。当事の状況について、原英次氏は、落成式で、「…吾飯塚たるや今将に市制を布かんとする気運をもって覆われ人心これに傾けり此時に當り當飯塚町進展に伴う劇場なくして可ならんや…」と祝辞を述べている。炭鉱景気に湧く飯塚の繁栄振りが手にとるようにわかる。
金丸座、内子座、オデオン座、貞光劇場など古い劇場が全国にはいくつかあるが、常打ちの劇場は嘉穂劇場くらいのものであろう。大変貴重であり、よい雰囲気の劇場である。−平成17年7月−
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