筥崎宮(はこざきぐう)は、宇佐八幡、石清水八幡とともに日本三大八幡のひとつに数えられる古社。もとは官幣大社。一の鳥居、楼門、本殿などの社殿が古色を漂わせ、参道沿いの松が古の千代の松原の姿を僅かにとどめている。参道入口あたりは博多湾の砂浜。浜の砂はお汐井といわれ、博多の人々はそれを身にふりかけて清めとする習慣が今も残っている。
小早川隆景が寄進した楼門は伏敵門の別称があり、亀山上皇筆と伝えられる「敵国降伏」の大扁額がかかっている。本殿・拝殿は大内義隆が寄進したものだ。境内に1274年(文永11年)に襲来した蒙古軍船の碇石、謡曲「唐船」ゆかりの唐船塔などがある。箱崎宮辺りは中世の大唐街といわれる。唐船塔などはそうした街が背景となってつくられたものであろう。
豊臣秀吉は、よほど茶に執心だったらしく、1587年(天正15年)、九州遠征時においても千利休を京都から呼び筥崎宮において茶会を開いている。境内に、千利休が奉献した石燈篭がある。
筥崎宮の9月の放生会、1月の玉せせりなどは全国的に知られた祭りである。−平成17年−
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