水の記憶(高松市水道資料館)−高松市−
水道資料館  高松市街の西、香東川右岸沿いの狭い道路を1キロほど遡ると御殿浄水場。その場内に瀟洒な西洋風建築物が保存されている。建築は、木造瓦葺平屋造りの事務室とポンプ室の2棟。いずれも八十数年前に建築(大正5〜7年)された旧御殿浄水場の施設だった。ふんだんにガラス窓が設けられ、室内は開放的で明るくモダーンである。アーチ窓などを眺めていると大正ロマンを意識してしまう。
  西洋風建築物は二棟とも「高松市水道資料館」として活用され、館内にポンプ設備等の展示や水道事業の歴史、節水の知識などを紹介するパネル展示などがある。

竜王社
梛の宮の秋祭
ひょうげ祭
当願神社
  香川県の降水量は少ない。古代から、飲料水や農業用水の確保は為政者の最大の課題だった。今日、内場(ないば)ダム、早明浦(さめうら)ダムの完成や近年の灌漑期における潤沢な自然降雨によって渇水に襲われることも少なくなった。しかし、高松市の上水道の水源は、ダム系、伏流水系(御殿浄水場)、ため池(四箇池)系と多様であり、今なお水の確保に大変苦労が多いことを物語っている。
  近代的な水道施設を持たなかった時代には、旱魃に見舞われると山上等での祈祷や念仏踊り、或いは竜神への雨乞いなどが行われるのが常だった。讃岐の国司菅原道真が行なった城山山頂(明神原)での雨乞いや滝宮の念仏踊り大川の念仏踊り(琴南町)の淵源は雨乞いである。大窪寺の北にそびえる女体山の山頂で行なわれた雨乞いは、農民の裸踊りであり降雨祈願の極点を示す奇祭だった。阿讃山脈の高峰竜王山頂で雨乞いが行なわれることもあった。中讃岐の土器川の流域には、田潮八幡宮の秋祭りなど神輿が川で暴れる勇壮な祭りが今に伝えられている。日本の祭り中、実に特異な習俗を残している。この祭りにもまた水への祈りが感じとれる。「ひょうげ祭り」(写真左)や「梛の宮の秋祭り」(写真左)などにもため池や出水(伏流水)への感謝祭的な祭りの意味合いが多分に感じられる。
  ひどい旱魃にも断えることのない水の確保は、農民や都市生活者の共通の願いである。
  県下には、有形無形の水乞の風がいまもなお広く存在する。水道資料館にほど近い香東川右岸のほとり(高松市鶴市町)にリュウゴンサン(龍王社)がまつられている。一帯にみかん農家が多く、今日においても旱魃の襲来がみかん農家の脅威であることには変わりがない。綾歌の竜王山は、旱魃が襲来すると雨乞いの祭祀がいまも行われる山。近在の農家によって竜神講が組織され、日照りが続くと山頂で講中による雨乞いが行われる。長尾の当願神社(写真上)は壮大な竜神伝説を伝える社。日照りがつづくと神酒を供え神事が行なわれるのである。
  ため池の浚渫や堤の補強などの工事は、稲田の刈り取りが終わった冬季に集中して行なわれる。干上がった池の底でブルトーザーやユンボが忙しく動く風景は、水にまつわる讃岐の冬の風物詩である。