大阪
メタセコイアの記憶−交野市私市(大阪市立大学理学部附属植物園)−
 交野の三木博士縁の大阪市大理学部付属植物園の一角に日本最古級のメタセコイアやヌマスギ、ミズマツなどスギ科の針葉樹が茂る林班がある。その中央部に池がありヌマスギの呼吸根が噴出し、杭を並べたような特異な景観呈している(写真上)。よく見ると、お地蔵さんや羅漢或いは烏帽子姿の人の姿のようにも見える。この植物園は、池周りも寂としたよい雰囲気がある。

 ヌマスギ、メタセコイア、セコイア、ミズマツなどスギ科の針葉樹には雄大かつ無機質の印象とともに悠遠とした雰囲気がある。樹高100メートルにもなるセコイアは太古の雰囲気を漂わせる。
 メタセコイアは、今ではよく知られたヌマスギなどと同種の樹木。昭和14(1939)年、その植物遺体をはじめて発見し、命名したのは大阪市立大学教授であり同理学部附属植物園長であった三木茂博士(香川県三木町出身。植物学者。昭和47(1974)年没)だった。それから数年後、中国四川省の秘境からメタセコイアが発見され生きた化石として評判になった。ほどなくしてメタセコイヤの種子や苗木がアメリカ経由で日本へ移入され、三木博士が大阪でその頒布会の設立を指導し、メタセコイアが学校や公園に植えられた。スギ科の植物であるがスギより2、3倍も成長が早く、今日本各地で見るメタセコイアは見上げるような巨木に育った。その記念すべきメタセコイアの苗木の1本がこの植物園にある。目通し約3メートルもあろうか、今なお樹勢も盛んである。
 慶大の日吉キャンパス・まむし谷のメタセコイア並木は、慶大出身で阪急百貨店社長などを歴任された清水雅氏が昭和32年冬、親交のあった三木博士を通じ頒布会から4、5百本の苗木を分けてもらい植えられたものであるらしい。同氏の著書「風のたわごと」(昭和32年、ダイヤモンド社発行)で植林の経緯が記されているので間違いはなかろう。植樹の経緯がわかる日本で一番古く、最大規模のメタセコイア並木であろう。
 メタセコイアは戦後のわが国の復興を象徴するかのように全国津々浦々の学校の校庭や公園などですくすくと育ち、半世紀を経た今、植物園の1号樹をしのぐ巨木も各所でみられるようになった。しかし、メタセコイアが余りにも高く、太く成長し、また落葉した冬季の樹形が枯死したように見えるところから伐採されてしまうものも少なくない。
 大阪市大理学部付属植物園では今、熱帯・亜熱帯の水生植物の花や仏桑花(古いかたちのハイビスカス)が咲いている。晴れた秋の日、園地の森から児童の歓声が聞こえる。−平成22年10月−
大阪市立大学理学部附属植物園
堅香子かたかごの花(カタクリ) ゴージャスな花 ‘プヤベルテロニアナ’
シャンデリアのような花 ‘アオキリュウゼツラン’ メタセコイアの記憶
ウケザキオオヤマレンゲ 思い草(ナンバンギセル)
ササユリの季節 仏桑花
交野の春