奈良
子出来おんだ祭(御田植祭)−磯城郡川西町保田−
保田の子出来おんだ(御田植祭) 大和平野は古くからひらけた穀倉地帯。今日までつたえられる農事にまつわる祭が随分多い。御田植祭もそのひとつである。
 御田植祭は、神社の拝殿などで田おこしから田植までの作業を再現し、秋の豊饒を予祝する行事としても行なわれる。年のはじめや田植前などに行なわれるが、奈良県下では大体、2月(旧暦の1月)に行なうところが多い。
 県下の御田植祭は、一般的に「おんだ祭」とよばれ、村々の宮座によって運営される。おんだ祭の会場は神社であるが、宮座は神官がいなかった昔から村々で行なう祭のいわば実行組織として存在した。神官が常駐するようになっても宮座は解消せず存在する。特に近畿地方(奈良盆地、京都・山城、近江)に宮座が多いのは稲作のながい歴史を物語るものだろう。
 奈良県下のおんだ祭は、随分特色のあるものが多い。磯城郡川西町保田に伝わる「子出来おんだ祭」もその一つ。毎年2月中旬に曽我川の川辺に建つ六縣(むつがた)神社で行なわれる。田んぼの見回りから田植までの農作業が再現されるところは他所のそれと似ているが、当地のおんだは妊婦の弁当運びと安産(出産)を絡ませ、せりふを伴う。妊婦は化粧した顔を姉さん被りの手ぬぐいで隠し、白装束に赤い腰巻で登場する。姑役らしい神官(宮座の神官役)との対話、妊婦の道行き、安産(出産)の場面で構成。妊婦との対話は優しい大和言葉で綴られる。
神官:田んぼへ弁当を持っていってくれるか。
妊婦:はい。
神官:ぼちぼちいってくれるか。気をつけて。  
妊婦:はい。いってさんじます。 
  ― (中略) 拝殿を一回りして、夫のもとに弁当を運ぶ。
  帰って、再び神官との対話がはじまり、妊婦が陣痛を訴
  える。 ―
妊婦:キリキリと腹が痛くなりました。
  ― 妊婦は子にみたてた小太鼓を腹からその場に放り
  出し、やすやすと出産する。―
神官:できました。ボンできた、ボンできた。
 大和平野の南部地方の御田植祭では、しばしば牛使いなどの所作において語りがともなう例はあるが、当地のおんだはストーリーがあり大変、稀有。また、オナリと呼ばれる女性が昼飯を頭上運搬(参考:阿波のいただきさん)を行ったり接待する例は阿蘇神社(熊本県)の御田植神事など九州や中国地方(参考:安芸のはやし田)に遺存例があるが、当所ではオナリが妊婦に変じ、出産を絡ませ、安産或いは子孫繁栄を祈念するさまを表現する。日本民族の頭上運搬の古い記憶が消えてはいない。頭上運搬は南方の民俗を考えさせ、田植儀礼などとともに稲作のルーツとも無関係ではない。御田植祭に妊婦をからませるは風は戦前まで、各地に残っていた。
 行事最後の種蒔きの所作では、農夫が種蒔き歌に託して、近江、河内、宇陀の郡、大和の諸所の豊饒をうたい、会場から―よんなか(世の中)よけれども福の種撒こうよ―、と囃すす。このように保田の人々は、諸国の豊饒をも併せ願うのである。
 近年では子宝祈願に同社の参拝や祭り見学に訪れる人も多いという。−平成21年2月−

妊婦と神官1 妊婦と神官2
農作業1 農作業2
保田の子出来おんだ
戻る