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佐賀 |
鏡山-唐津市- |
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松浦潟の佐用姫の児が領布振りし山の名のみや聞きつつ
居らむ <山上憶良> |
虹の松原の南に鏡山(標高283b、写真上)が横たわっている。この姿のよい山は、松浦川の右岸にあり山頂から松浦湾を一望できる。眼下に虹の松原、湾上に浮かぶ高島、その後方に神集島、東松浦半島が玄界
灘に突き出、壱岐・対馬の島影がうっすらと見える。湾の東方には姫島が浮かび、その右手に糸島半島を望む。海上交通の大要が望見できる鏡山は、古代から要害の神山であった。頂上に鏡山神社(写真左)が鎮座する。
鏡山神社境内の入口に歌碑(写真下)がある。「松浦潟の佐用姫の児が・・・(万葉集)」の山上憶良の歌が刻まれている。
鏡山は西暦537年(宣化2年)、佐用姫が朝鮮半島の任那救援に向かった夫の大伴狭手彦を領布振り見送った故地とされているところ。佐用姫はさらに東松浦半島の先端部にある呼子加部島の田島神社に詣で、狭手彦の安泰を祈願したと伝えられている。田島神社の境内に佐与姫神社があり、島の天童岳頂上付近に領布振る佐与姫像が建っている。藩政期には、唐津藩主の姫君が良縁のお守りを求めて佐与姫神社にお忍びで参拝したという。
鏡山は領布振山(ひれふりやま)の別称がある。それほど任那の回復はヤマト王権の悲願と考えられ、人々はその思いを佐用姫と狭手彦の愛情物語に昇華させていったのだろう。−平成17年− |
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