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佐賀 |
武雄温泉の楼門−武雄市武雄町温泉通り− |
武雄温泉の入口に朱塗りの楼門が建っている。唐風様式の入母屋造り本瓦葺の竜宮門。高さ、奥行きともともに10メートル。下層は白色漆喰塗りの大壁である。設計は唐津出身の辰野金吾。大正4年に竣工し、蓬莱湯の扁額がかかっている。揮毫は書聖といわれた中林梧竹。武雄温泉のシンボルとなっている。新館は木造二階建て入母屋造り桟瓦葺で、桁行正面が約25メートルある。こちらの方も辰野の設計によるもの。楼門のイメージともよく調和していてどこから眺めても美しい建物である。
辰野は明治の洋風建築の大家であるが、レンガ造りを基本とした設計を得意とし東京駅、旧佐賀銀行唐津支店屋舎などの作品がある。日本銀行や浜寺公園駅(南海電鉄)など作品は随分多いのであるが、木造建築は余り手がけておらず武雄温泉の楼門等の木道建築物は貴重である。設計の動機は定かではないが、武雄温泉株式会社(当時は武雄温泉組)の宮原忠直が朝鮮の大邱(だいきゅう)で楼門を見学したことがきっかけとなって、着想を辰野に伝えたようである。辰野は同じ佐賀県の唐津出身であったよしみから設計を快諾したのであろう。県下に残る辰野唯一の作品である。
武雄温泉は長崎街道の宿のひとつ。往古から文人墨客などが投宿したところ。街道にその面影を残している。 |
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