富山ノートNO11
五箇山-富山県上平村等-
 富山の西部、庄川峡谷沿いの険しい国道を南下すると「五箇山(ごかやま)」に至る。富山市内から約50キロの距離。
 五箇山の菅沼集落に合掌造りの家屋が20数戸残っている。今もなお村人の生活の場として集落はある。しばし、村内を徘徊し、村人と立ち話をする。
 「雪が多く、大変でしょうね?」
 「そうそう、特に昔は大変でした。戦前は北海道へ、戦後は関西方面へ随分移住していきました。この辺りでは、昔お蚕さんを飼っていましたが、紡いだ糸を担いでまる2日がかりで城端まで売りにいきました。大仕事でした」
 「若い人も随分多いように思いますが?」
 「今は、道路も良くなり便利になりました。屋敷の外見は昔のままですがなかは下水道を引き水洗にしています。頭を切り替えないと若い者も困りますし、第一残ってくれませんから・・・」
五箇山に嫁いで50年余になるという村人は、峡谷沿いの小川で群れるイワナの話や茅場が衰退し屋根の葺き替えに苦労が絶えない話など、五箇山の今昔を語ってくれた。五箇山は、いま世界遺産に指定され、国内外の観光客の入り込みも多く、やさしさに充ちた村人が住み、庄川峡谷の奥まった丘上で白銀の光を放っている。−平成14年2月
五箇山1 五箇山2

鹿児島県−池田湖畔の合掌造り
 薩摩半島の南端に周囲15キロメートル、九州一大きな「池田湖」の湖畔に大きな合掌造りの民家が建っている。民家は、昭和48年に利賀村から移築、復元された。大きな湖には、大きな合掌造りの民家がよく似合う。鹿児島も平家の落人伝説が彼処に残る。何か共通することろがあって移築されたのであろう。湖畔の民家は利賀村最大の合掌造りの民家2軒のうちのひとつであったらしい。もうひとつは利賀村の「民芸館」として活用されているとのことである。
画像(池田湖半の合掌造り) 画像(池田湖半の合掌造り)

福岡県−宮地嶽神社民家村自然公苑の合掌造り
 福岡県福津市津屋崎町に日本一太く大きな注連縄がかかる「宮地嶽神社(みやじだけじんじゃ)」が鎮座する。社は、玄海灘にのぞむ山腹に建ち、全国の宮地嶽神社の総本社である。神社の東側に民家村が付置されていて、九州や東北地方などの古民家が展示されている。この民家村に、昭和49年2月、利賀村から移築された古民家(うち1棟は倉庫)が3棟展示されている。新緑につつまれた宮地嶽の麓で、雄大な屋根がひときわ美しく輝いている。
民家村自然公苑 宮地嶽神社

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