九州絶佳選
福岡
宮地嶽神社−津屋崎町−
 玄界灘にのぞむ福津市津屋崎に宮地嶽神社(みやじだけじんじゃ)が鎮座している。全国の宮地嶽神社の総本社である。日本一大きなしめ縄で有名な社である。拝殿に重さ数トンにもなるというしめ縄がかかっている。太く実に立派なものである。
 宮地嶽神社の境内地に国内最大規模の横穴式古墳がある。石室から金銅装透彫冠など三百数十点の遺物が出土。被葬者は宗像族の宗形徳善と考えられている。徳善の娘・尼子娘あまこのいらつめは大海人皇子(天武天皇)の後宮に入った人。高市皇子の生母である。高市皇子は、天武天皇の最年長の皇子。生母が地方豪族の出身であったことから帝位につくことはなかったといわれる。壬申の乱では全軍の統帥権を握り活躍した英雄。太政大臣に執したが若くして薨去。柿本人麿が長歌を献じているが、高市皇子の生前の勇姿をうつしてあますところがない。
・・・鶏がなく 東の国の御軍士を 召したまひて ちはやぶる 人を和せと まつろはぬ 国を治めて 皇子ながら 任けたまへば 大御身に 太刀取り佩かし 大御手に 弓取り持たし  御軍士を あどもひたまひ 整ふる 鼓の音は 雷の 声と聞くまで 吹き鳴せる 小角の音も あたたみる 虎か吼ゆると 諸人の おびゆるまでに ささげたる ・・・ <万葉集 柿本人麿詠歌>
 古墳は奥の宮不動神社として信仰の対象となっており内部の見学はできないが、年三度の祭礼日には石室に入って参拝することができる。石室の全長は21.9メートル。石舞台古墳のそれをしのぎ、大和の見瀬丸山古墳(前方後円墳)の石室(26.2メートル)に次ぐ全国2位の巨大なものである。40年ほど前、見瀬丸山古墳の石室を覗いた記憶がある。石室内に石棺が2基置かれ、浸水によって池のようになっていて石室内がひと際大きく感じたものである。宮地嶽古墳の石室の大きさも推して知るべしの巨大なものであろう。宗像族の勢力をそのままうつしたモニュメントだ。
 神社の近くに民家村自然公苑があり、公苑に訪れる人も多い。公苑に富山県利賀村の合掌住宅や九州各地の草葺住宅が保存されている。九州特有のクド造り、カギ造り、二棟造りの民家が揃っている。利賀村の合掌造り住宅は、もはや利賀村にも住宅としては残っておらず大変、貴重である。鹿児島の池田湖のほとりに移築された住宅を含め九州には利賀村の合掌住宅が2棟、保存されている。
 神社のある宮地地区は、藩政期に藩主から米600俵を給されている。勤勉で年貢の滞納がなかった土地の農民に対し給されたもので、神社境内にその顕彰碑がある。
 宮地嶽神社の前は門前市をなし、神社の西側に県道が走っている。唐破風の庇のついた一部、木造三階建ての珍しい旅館がある。−平成17年8月−
参考:宗像族残照

宮地嶽神社
民家村自然公苑(公苑遠景、右はクド造り民家)
民家村自然公苑(カギ造り民家と合掌住宅)
津屋崎の旅館